樹木を伐ることと、樹木を敬うことは、どう両立してきたのか。伐る前の一礼や、幹に当てた手のひんやりとした感触、切り口の香りと年輪から、万葉集の「鳥総立て(とぶさたて)」や山形県置賜地方の草木塔まで、伐る者が受け継いできた作法を考えます。

伐る前に、すること
樹木医として樹木を守る仕事をしている私も、樹木を伐る側に立つことがあります。さまざまな事情で残せなくなった樹木を、伐らせていただく仕事です。
伐る前に、私は一礼し、手を合わせます。御神木や社寺の樹木、大きな樹木や古い樹木を伐るときには、塩や酒を供えます。神社の神職の方に、お祓いをしていただいた現場もあります。
辞典によれば、祓(はらえ)とは、神に祈って、けがれを清め、災いを取り除くことをいいます。伐る前のお祓いは、これから樹木を伐る人と、その場所を清める時間でもあるのだと思います。
それから、幹に手を当てます。樹皮はひんやりと冷たく、ざらつきや凹凸が、手のひらに伝わってきます。手を当てていると、その幹の太さや重さが、目で見るよりも確かに感じられます。そして最後に、樹木の全体を、もう一度見回します。
どれも、伐る前に必ずしていることです。
ここからは、私の解釈です。一礼も、手を合わせることも、幹に手を当てることも、作業を進めるうえでは、無くても困らない動きです。それでも、その数秒のあいだ、手は止まり、目の前の一本と向き合う時間が生まれます。作法とは、言葉にしにくい気持ちを、体の動きとして残しておくための形なのかもしれません。
鳥総を立てて
伐る前や伐ったあとに、何かをする。その営みは、千年以上前の歌にも残っています。
万葉集に、「鳥総立て 足柄山に 船木伐り」と詠まれた歌があります(巻3-391、沙弥満誓)。鳥総(とぶさ)とは、木の梢や、枝葉の茂った先の部分のことです。昔は木を伐ったあと、山の神を祭るために、その株などに梢を立てたとされます。
この歌は、たとえを用いた譬喩歌(ひゆか)として収められています。鳥総を立てて足柄山で船の材を伐ったのに、ただの木として伐って行ってしまった。惜しい船の材だったのに、という歌です。千三百年近く前の人も、一本の木がその値打ちにふさわしく生かされないことを、惜しいと感じていたのでしょう。伐ることへの敬意は、伐ったあとの木を、どう生かすかにも向けられていたのだと思います。

大伴家持も、「鳥総立て 船木伐るといふ 能登の島山」と詠みました(巻17-4026)。鳥総を立てて船の材を伐り出すという能登の島の山。今日見ると木立が繁っている。幾代のあいだ、神さびてきたのだろう。そんな意味の歌です。
伐られる山でありながら、木立は繁り、神さびている。第2回で、「神さび」という言葉にふれました。この歌では、伐ることと、神々しさを感じることが、ひとつの山の上で重なっています。伐ったあとに梢を立てることで、人は、いただいた木を山に返そうとしていたのかもしれません。
切り口の色と香り
伐ったばかりの切り口は、色が明るく、みずみずしく見えます。木の香りが、あたりに広がります。その香りは、樹種ごとに違います。

切り株の前で、私は年輪を数え、その幅の違いを見ます。幅の広い輪が続くところもあれば、狭い輪が詰まっているところもあります。年輪や断面を見ていると、その木が生きてきた時間のことを思います。
広い輪の年も、狭い輪の年も、その木にとっては同じ一年でした。私が生まれる前の輪も、私がこの仕事を始めた年の輪も、同じ断面の中に、静かに並んでいます。

ここからは、私の解釈です。
立っているあいだ、樹木の時間は幹の内側に隠れています。私たちが目にできるのは、樹皮と枝葉という、その時間のいちばん外側だけです。伐ったとき、はじめてその内側が開かれ、何十年、何百年という時間が、一枚の断面として目の前に現れます。
樹木の時間を、いちばんよく見ることができるのが、その命を終えさせた者だというのは、どこか皮肉なことのようにも思えます。けれども、だからこそ、伐る者には、その時間を受け取る責任があるのではないか。年輪を数えることは、その木が生きてきた年月に、最後に立ち会うことなのかもしれません。
草木塔という石
伐ったあとに何をするか。その答えのひとつが、山形県の置賜地方に残る草木塔(そうもくとう)です。
米沢市によれば、草木塔は草木の霊を供養するために建てられた石碑で、置賜地方に約60基あります。いちばん古いものは、安永9年(1780年)、米沢市の塩地平に建てられた「草木供養塔」です。藩の江戸屋敷の再建や大火のときに材木が伐り出されたことが、建てられたきっかけになったと考えられています。
寛政9年(1797年)の白夫平の草木塔には仏教の考えの影響が見られ、山岳信仰や修験道の影響も感じられるといいます。草木塔は林業の盛んな地域に多く、近年は自然を守るという見方からも注目されているそうです。第4回で、草や木も仏になるという草木成仏の考えをたどりました。その考えは、山で木を伐って暮らす人々の、石の塔の中にも生きていたのかもしれません。
多くの木を伐らなければならなかった人々が、伐ったあとに石を立て、草木を供養した。草木塔は、伐らないことを選んだ人たちの記念碑ではありません。伐ることを引き受けた人たちが、そのあとに残した祈りの形です。
伐ったあとの、空の明るさ
大きな樹木を伐り終えると、空が明るくなります。それまで枝葉に覆われていた場所に、光が差し込みます。

その明るさは、そこに長いあいだ立っていた樹木が、もう無いということでもあります。けれども、その光は、周りの樹木や、足もとの草や若木に届く光でもあります。前回、手入れの止まった林の暗さについて書きました。伐ることで、林に光と風が戻ることもあります。
見上げた空の明るさは、それまでそこにあった枝葉の大きさを、あらためて教えてくれます。どれほどの光を、その樹木が受け止めてきたのか。伐ったあとの空の広さは、その樹木が占めていた場所の大きさでもあります。
伐ることは、終わらせることであると同時に、何かが始まる場所をつくることでもあるのかもしれません。鳥総を立てた人たちも、伐った株のあとに、また木が育つことを願っていたのではないでしょうか。
敬意は、伐ったあとに現れる
樹木を敬うことは、樹木を伐らないことだと考える方もいると思います。けれども、伐らなければならない樹木はあります。
鳥総立ても、草木塔も、伐ることをやめるための作法ではありませんでした。伐ったあとに、梢を立て、石を立て、手を合わせる。敬意は、伐らないことよりも、伐ったあとに何をするかに現れてきたのだと思います。
伐る前の一礼も、幹に当てる手も、年輪を数える時間も、私にとっては、その木の時間を受け取るための作法です。伐った樹木の時間は、そこで終わるのではなく、受け取った者の中で、少しだけ続いていくのかもしれません。
次回は、南方熊楠が守ろうとした森から、鎮守の森は信仰の場なのか、生きものの場なのかを考えます。
株式会社トシ・ランドスケープ
樹木医 中村雅俊
出典・参考
・奈良県「万葉百科」巻3-391(沙弥満誓) https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/detailLink?cls=db_manyo&pkey=391(2026年10月11日確認)
・奈良県「万葉百科」巻17-4026(大伴家持) https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/detailLink?cls=db_manyo&pkey=4026(2026年10月11日確認)
・コトバンク「鳥総」(小学館『デジタル大辞泉』) https://kotobank.jp/word/%E9%B3%A5%E7%B7%8F(2026年10月11日確認)
・コトバンク「祓」(小学館『デジタル大辞泉』ほか) https://kotobank.jp/word/%E7%A5%93(2026年10月11日確認)
・米沢市「草木塔」 https://www.city.yonezawa.yamagata.jp/soshiki/18/2/5/5/1159.html(置賜地方に約60基、安永9年の草木供養塔、建立のきっかけ、寛政9年の白夫平の草木塔。2026年10月11日確認)
連載「樹木の時間 ― 御神木の前で考えたこと」
第1回 御神木の前に立つと
第2回 樹木は、神そのものではなかった
第3回 残ったから、神になったのか
第4回 「山川草木悉皆成仏」は誰の言葉か
前回 第5回 共に生きてきた、は本当か
第6回 伐る者の作法(この記事)
次回 第7回 熊楠が守ろうとした森(公開後にリンクを追記)
連載「樹木の時間」のすべての回は、連載の一覧からご覧いただけます。






















