「山川草木悉皆成仏」は誰の言葉か 樹木の時間 第4回

巨木 苔 幹 樹木の時間 草木成仏 樹木医 随想

草木も仏になる、という考えはどこから来たのか。古い仏典の言葉と思われがちな「山川草木悉皆成仏」は、研究によれば近年の言い回しで、草木成仏の考えは平安時代の僧・安然にさかのぼるとされます。寺院の境内で受け取った鐘の音や線香の香りから考えます。

巨木 苔 幹 樹木の時間 草木成仏

 

鐘の音と、線香の香りの中で

寺院の境内で作業をしていると、鐘や読経の音が聞こえてくることがあります。線香の香りが、風にのって漂ってきます。足もとは落ち葉や苔で、しっとりとしています。樹木に登れば、上から境内やお墓を見下ろすことになります。

上野の寛永寺・輪王寺で、高さ30メートルを超えるクスノキを剪定させていただいたとき(上野寛永寺・輪王寺 樹木医によるクスノキ剪定)。江戸川区の寿昌院で、臥竜の松の緑摘みをするとき(生命力を感じる名木「臥竜の松」)。赤坂の豊川稲荷東京別院で、参道脇のケヤキの枝を整えたとき(港区赤坂 豊川稲荷・東京別院様 ケヤキなどの高木剪定)。そうした寺院の境内で、私は仏教の樹木の見方に、ふれたような気がしてきました。

寛永寺 輪王寺 クスノキ 樹冠 剪定 樹木の時間
寛永寺・輪王寺のクスノキの剪定

豊川稲荷東京別院の記事には、青山通りの車の列を横目に山門をくぐると、空気の密度が変わる、と書きました。高所作業車のバスケットから見下ろすと、緑青をまとった屋根と、赤い幟や提灯が、芽吹きはじめたケヤキの枝越しに透けて見えていました。そのすぐ向こうには、赤坂のビルと車の流れがあります。

同じ記事の終わりに、私はこう書きました。枝を一本下ろすたびに、境内に差し込む光がわずかに変わる。その光の加減、木漏れ日を、参拝に来られる方が心地よく感じてくださればと思う、と。早咲きの桜と赤い提灯、ふくらみはじめたケヤキの芽。ひとつの境内に、季節の異なる時間が重なり合っていました。

豊川稲荷東京別院 境内 見下ろし 赤い幟 ケヤキ 樹木の時間
豊川稲荷東京別院の境内を上から見下ろす

鐘の音や線香の香りに包まれた境内では、樹木もまた、この場所の祈りの一部として立っているように見えてきます。仏教では、草や木も仏になる、という言葉があると聞いたことのある方も多いと思います。今回は、その言葉の出どころをたどります。

 

「山川草木悉皆成仏」という言葉

「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)」。山も川も、草も木も、ことごとく仏になる、という意味です。私がこの言葉を知ったのは、樹木や庭、自然について書かれた本の中でした。日本の自然観をあらわす言葉として、紹介されることの多い言葉です。

ところが、仏教学者の末木文美士(すえきふみひこ)によれば、この言い回しは仏典にも日本の古典にも見当たらない、近年になって広まった言葉だといいます。謡曲などで親しまれてきた「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」という言葉も、インドや中国の仏典には無く、日本の文献にしか見られないそうです。

 

千百年あまり前の僧、安然が向き合った問い

では、草木も仏になる、という考えそのものは、いつ生まれたのか。末木文美士は、平安時代の天台宗の僧・安然(あんねん)にさかのぼると論じています。安然は承和8年(841年)の生まれで、比叡山の五大院に住み、天台の密教の教えを大きくまとめた人です。

仏になるには、まず仏になろうという心を起こし(発心)、修行をすることが必要だとされてきました。では、心を持たないとされる草や木は、自分から心を起こし、修行して、仏になることができるのか。安然はこの問いに、草木もまた、自ら心を起こし、修行し、仏になる、と答えたといいます。

末木によれば、安然のこの考えは、中国の天台の書物を、大胆に読み替えることから生まれたものでした。読み替えというと、間違いのように聞こえるかもしれません。けれども、その読み替えには、新しい考えを生み出す力があったと、末木は評価しています。

仏典の言葉をそのまま受け取るのではなく、日本の山や川、草や木の前に立った人が、自分の目で見たものに合うように、言葉を読み直した。千百年以上前の比叡山で、そういうことが起きていたのかもしれません。

 

樹木は、自ら心を起こすのか

ここからは、私の解釈です。

草木が自ら心を起こす、と聞くと、樹木医としては首をかしげたくなります。樹木に心があるかどうかは、いまも分かっていません。そのことは、この連載の後の回で、あらためて考えたいと思います。

寿昌院 臥竜の松 マツ 手入れ 江戸川区 樹木の時間
寿昌院の臥竜の松の手入れ

それでも、安然の問いに、どこか惹かれるものがあります。臥竜の松の手入れに通っていると、春には新しい芽がいっせいに伸びてきます。誰に言われるでもなく、毎年、同じ季節に、樹木は芽を伸ばし、葉を開き、また冬を越していきます。人の言葉でいえば、それを「心を起こす」と呼びたくなる気持ちも、分からなくはありません。

樹木の側から見れば、それは発心でも修行でもなく、ただその場所で生きているということです。けれども、同じ場所で毎年くり返される芽吹きを思い浮かべると、生きることそのものが、ひとつの修行のようにも思えてきます。安然が見ていたのも、そういう草木の姿だったのではないかと、私は想像しています。

 

出典が無くても、敬う気持ちは変わらない

「山川草木悉皆成仏」が古い仏典の言葉ではないと知っても、樹木を敬う気持ちは、私の中で何も変わりませんでした。

鐘の音を聞きながら枝を整えたこと。線香の香りの中で、苔のしっとりした足もとを踏みしめたこと。樹上から、何代もの人が眠るお墓と、そのあいだに立つ樹木を見下ろしたこと。そうした感覚は、言葉の出どころを知る前から、すでに私の中にありました。

寛永寺 クスノキ 幹 地上作業 樹木の時間
寛永寺・輪王寺のクスノキの幹

寛永寺は、寛永2年(1625年)に開かれた寺院です。幕末の上野戦争で伽藍の多くを失い、輪王寺も平成元年(1989年)の火災で本堂を失って、建て直されてきました。建物は焼けては建て直され、そのあいだも、境内のクスノキは同じ場所で枝を広げてきたことになります。

言葉が先にあって、人が樹木を敬うようになったのではなく、樹木の前で受け取る感覚が先にあり、言葉はあとから、それに名前をつけたのかもしれません。安然の読み替えも、「山川草木悉皆成仏」という新しい言い回しも、人が草木の前に立ったときの、言葉にしにくい感覚を、なんとか言い表そうとした試みのように思えます。

言葉は、時代ごとに読み替えられ、言い換えられていきます。けれども、樹木の前で人が受け取るものは、千年前も今も、それほど変わらないのかもしれません。鐘や読経の音、線香の香り、しっとりとした苔の足もと。草木成仏という考えは、そうした感覚に支えられて、千年以上のあいだ読み継がれてきたのだと思います。

寛永寺・輪王寺のクスノキには、昔の大火のときに延焼を食い止めたという言い伝えがあります。言い伝えが確かかどうかは分かりません。それでも、そう語り継がれてきたこと自体が、人がこの一本に向けてきた思いの深さを伝えています。言葉の正しさとは別のところに、樹木と人とのあいだに積み重なってきた時間があります。

 

樹上から見下ろした、二つの時間

寺院の樹木に登ると、足もとに、お墓が並んでいるのが見えることがあります。そこには、何代にもわたる人の時間が眠っています。そのあいだに、人よりも長い時間を生きる樹木が、根を張って立っています。

人の時間と、樹木の時間。その二つが、ひとつの境内の中で重なっている。草木も仏になるという考えは、もしかすると、人がいずれ土に還り、樹木がその上で生き続けていく、その景色の中から生まれてきたものなのかもしれません。

草木は仏になるのか。その問いに、私は答えを持っていません。ただ、鐘の音の中で枝に向き合う時間は、樹木の時間に耳を澄ます時間でもあるのだと、いまは思っています。

次回は、「昔の人は自然を大切にしていた」という言葉は本当なのか、という問いから、日本の森がたどってきた歴史を考えます。

株式会社トシ・ランドスケープ
樹木医 中村雅俊

 

出典・参考

・末木文美士『草木成仏の思想 ― 安然と日本人の自然観』サンガ、2015年(文庫版 サンガ文庫、2017年。サンガ新社版、2024年) サンガ新社の紹介 https://samgha-shinsha.jp/publishing/book/soumoku-joubutu-no-sisou/(2026年10月11日確認)
・日本経済新聞「草木成仏の思想 末木文美士著」(書評・井上章一、2015年4月) https://www.nikkei.com/article/DGXKZO85133190R00C15A4NNK001/(「草木国土悉皆成仏」はインド・中国の仏典に無く日本の文献にのみ見られること、「山川草木悉皆成仏」は近年の造語であること、安然の草木成仏論。2026年10月11日確認)
・コトバンク「安然」(小学館『精選版 日本国語大辞典』ほか) https://kotobank.jp/word/%E5%AE%89%E7%84%B6(承和8年(841年)生、比叡山五大院。2026年10月11日確認)
・当社記事「上野寛永寺・輪王寺 樹木医によるクスノキ剪定」(寛永寺の創建、上野戦争、輪王寺の平成元年の火災、クスノキの延焼の言い伝え) https://toshilandscape.co.jp/archives/10754
・当社記事「港区赤坂 豊川稲荷・東京別院様 ケヤキなどの高木剪定」 https://toshilandscape.co.jp/archives/10815
・当社記事「生命力を感じる名木「臥竜の松」 その美しさと歴史 江戸川区」 https://toshilandscape.co.jp/archives/9328

連載「樹木の時間 ― 御神木の前で考えたこと」

第1回 御神木の前に立つと
第2回 樹木は、神そのものではなかった
前回 第3回 残ったから、神になったのか
第4回 「山川草木悉皆成仏」は誰の言葉か(この記事)
次回 第5回 共に生きてきた、は本当か(公開後にリンクを追記)

人気の記事
最新の記事
おすすめ記事
  1. 背負式の噴霧器で、マンションの駐車場沿いのレッドロビンの生垣に薬剤を散布する作業員

    レッドロビン(ベニカナメモチ)の「ごま色斑点病」対策 東京都杉並区

  2. サクラ 倒木 根鉢 幹の切断面 砧公園

    東京都世田谷区砧公園のサクラ倒木(根返りを伴う倒伏)について 樹木医の考察

  3. デモンストレーション 参加者 ピカス トロニック 機材

    【求人募集】事務スタッフを1名募集します

  4. 剪定鋏 松の枝 松葉 短葉仕立て

    松の伝統技術「短葉仕立て」とは|剪定・芽切り・病害虫管理まで徹底解説

  5. ヒマラヤスギ 根返り 根鉢 駐車場 砧公園

    砧公園で2日連続の倒木事故——ヒマラヤスギはなぜ倒れたのか 樹木医の考察 東京都世田谷区

  6. ヒマラヤスギ 倒木 根鉢 カラーコーン 砧公園

    国土交通省の全国倒木調査を樹木医が読み解く

  7. 千代田区 桜 ソメイヨシノ 倒木

    千鳥ヶ淵の桜が倒木。砧公園でも再び倒木。樹木医が考える、東京の老齢サクラに起きていること

  8. サクラ 幹の根元 樹幹注入 注入器 ウッドスター

    桜の木の毛虫(サクラケムシ)対策──正体はモンクロシャチホコ、毒の有無と発生時期・駆除の方法を樹木医が解説

  9. 樹木医 ドドンパ エアレーション 土壌改良 桜 サクラ 樹勢回復 樹木治療

    サクラ並木 樹木医 土壌改良・エアレーション 東京都

  10. ベッコウタケ 倒木 樹木医 樹木診断 根 腐朽 腐れ サクラ

    ベッコウタケとは──サクラの根を腐らせるキノコと倒木、見つけたときの診断を樹木医が解説(東京都杉並区の倒木の事例)

  1. ツリーモーション PiCUS TreeMotion 風 根元の傾き 根鉢 センサー 樹木医

    ツリーモーション(PiCUS TreeMotion)の仕組みと使いどころ──自然の風で根元の傾きを測り、根の支えを読む方法を樹木医が解説

  2. 保護具 ヘルメット 保護眼鏡 フェイスシールド イヤーマフ 防護ズボン 手袋 ブーツ アーボリスト 樹上作業

    頭と体を守る ― ヘルメット・保護眼鏡・耳と手足の保護具|アーボリストの基礎 第3回

  3. 巨木 苔 幹 樹木の時間 草木成仏 樹木医 随想

    「山川草木悉皆成仏」は誰の言葉か 樹木の時間 第4回

  4. 剪定の時期 落葉樹 ケヤキ 春 夏 秋 冬 四季 木の一年 図解

    剪定の時期はいつ──落葉樹・常緑樹・針葉樹と花木、植木職人が木の一年で決める手入れの季節|樹木医が図解(Timing: When Japanese Gardeners Prune Deciduous, Evergreen and Conifer Trees)

  5. 樹形の骨格 ケヤキ 夏 冬 葉の下の枝ぶり 落葉樹 図解

    樹形の骨格とは──主幹・主枝・副主枝・側枝の見方と、切る前に木を読む庭師の目|樹木医が図解(Reading the Framework: Trunk, Scaffold and Lateral Branches)

  6. 樹上作業 地上作業員 グランドワーカー 立入禁止 ツリークライミング 2人の樹上作業

    樹上作業の一日 ― 登ってから降りるまでと、地上で支える役割|アーボリストの基礎 第2回

  7. 長谷川式大型検土杖 土層調査 植栽基盤 樹木医

    長谷川式大型検土杖で土の層を見る──深さ1mまでの採り方と、土色・土性・混じりものの見方を樹木医が解説|土壌調査と土壌改良 第5回

  8. 植木鋏 剪定鋏 比較 違い 形 庭師 道具 図解

    植木鋏と剪定鋏の使い分け──2つの鋏の形と役割、切り口を守る刃の向き|樹木医が図解(Ueki-basami and Sentei-basami: Two Japanese Shears and Their Roles)

  9. 施工前 施工後 比較 植栽帯 植栽リニューアル 墨田区

    マンションの植栽リニューアルの進め方──現状の確認・植栽デザイン・工事・植えた後の管理を、4つの事例で樹木医が解説

  10. 特殊伐採 住宅地 建物の間 伐採 ツリークライミング 樹木医

    特殊伐採とは──住宅地で大きな木を根元から倒せない理由を、「木の高さの2倍」の決まりから樹木医が解説|高木・特殊伐採とケーブリング 第2回

  1. 登録されている記事はございません。

関連記事