樹木は、傷ついたとき何をしているのか。外から健全に見えたのに中が朽ちていた幹の断面、ひんやりとした空洞の内側、昔の人が埋めた跡。目で見てきたものと、樹木の体の仕組みを調べたアレックス・シャイゴの研究から、傷を抱えて立ち続ける樹木の時間を考えます。
外からは見えなかったもの
伐った幹の断面を見て、驚いたことがあります。サクラやケヤキで、外から見るかぎり健全そうだった幹の中が、朽ちていたのです。
伐ったばかりの切り口は、ふだんは色が明るく、みずみずしく見えます。けれども、その幹では、外側の明るい材の内側に、朽ちた部分が広がっていました。
そして、断面には、傷を囲むように色の変わった境目が、くっきりと見えていました。朽ちた部分と、まだ健全な部分のあいだに、線を引いたような境があったのです。

立っているあいだ、その境目は、誰の目にも見えません。樹皮の内側で、何年も、何十年もかけて引かれてきた線です。伐ってはじめて、樹木がその内側で何をしてきたのかが、目の前に現れます。
生きているのは、外側の薄い層
樹木の幹の大部分は、実は生きていません。
樹木の病気を研究したアメリカのアレックス・シャイゴは、1984年の論文で、木材の中の細胞が年を経て、生きた中身を持つ細胞が残らなくなり、水を運ぶことも養分を蓄えることもしなくなった部分を「心材」と呼ぶ、と説明しています。樹木は生育期ごとに新しい細胞をつくり、それが前の年までの細胞を外側から包んでいきます。生きているのは、樹皮のすぐ内側の薄い層です。
シャイゴは、その仕組みを、細長い円錐が毎年一つずつ重なっていく姿にたとえています。そして、ある意味で樹木は「多くの植物の集まり」だ、とも書いています。毎年の新しい細胞が、それまでの年の細胞を包んでいくからです。

東京都の街路樹診断等マニュアルの参考資料でも、木材を腐らせる菌の多くは「樹木の死んだ組織(木部)」を分解すると書かれ、形成層は「生きた組織」と呼ばれています。
ここからは、私の解釈です。
一本の樹木は、生きた薄い層が、生きていない何十年分もの層を、毎年あらたに包み込みながら立っているのだと思います。幹の中心には、その樹木が若かったころの時間が、静かにしまわれています。樹木は、過ぎてきた時間を捨てずに、体の内側に抱えたまま生きているのです。
空洞の中に入って
都内の仕事で診た樹木の空洞に、入ったことがあります。
中は暗く、上の方から、わずかに光が差していました。ひんやりとして、湿っていました。木が朽ちた、土のような匂いがしました。声や外の音が、こもって響きました。

そこは、樹木が長い時間をかけて、内側から少しずつ明け渡してきた場所です。
樹木の内側にいるのに、まわりは生きた木ではなく、朽ちて土に還りかけた木です。その外側を、生きた薄い層が包み、さらにその外で、枝が伸び、葉が光を受けています。空洞の中にいると、自分が一本の樹木の時間の、いちばん古いところに立っているような気がしてきます。
治すのではなく、閉じ込める
では、樹木は傷ついたとき、何をしているのか。
シャイゴは、米国農務省森林局の研究者として、樹木を切り開いて内部を調べ、傷をつけてその後を観察する研究を重ねました。そして、樹木は傷ついた部分を元どおりに治すのではなく、まわりに壁をつくって腐れを閉じ込める、と考えました。腐朽の区画化(CODIT)と呼ばれる考え方です。
シャイゴとマークスの1977年の報告によれば、壁は四つあります。傷の上下に広がるのを抑える壁はいちばん弱く、内側へ広がるのを抑える壁が次に弱い。横へ広がるのを抑える壁はかなり強い。そして、傷を受けたあとに形成層が新しくつくる四つめの壁が、いちばん強いとされます。この四つめの壁が、傷を受けたときにあった材と、そのあとにできる新しい年輪とを隔てます。ただし、壁は絶対ではありません。

シャイゴは1984年の論文で、樹木は死んだ部分や死にかけた部分を捨て去らず、それらと健全な部分とのあいだに境界をつくる、と書いています。そして、樹木は生育期ごとに、新しい細胞を新しい場所につくる、とも述べています。傷ついた場所を作り直すのではなく、その外側に、新しい自分を重ねていくのです。
私が断面で見た、傷を囲む変色の境目は、樹木が引いてきた、その境界だったのだと思います。
閉じ込めることにも、代わりに失うものがあります。シャイゴは、閉じ込める部分が多くなりすぎると、樹木のふだんの働きがうまくいかなくなり、害になることもある、と書いています。区画化は、傷を消してくれる魔法ではありません。限られた力の中で、生きる部分を守るために、どこかで線を引くことなのだと思います。
埋めた跡が教えてくれたこと
古い樹木を診ていると、空洞を埋めた昔の手当ての跡に出会うことがあります。モルタルやコンクリートで埋めた跡。ウレタンや樹脂で埋めた跡。銅板やトタンで、ふたをした跡。
そうした跡のまわりで、私は、埋めたものと幹のあいだにすき間ができているのを見てきました。埋めた内側で、腐れが進んでいるのも見ました。ふたの下に、水がたまっていることもありました。
ここからは、私の解釈です。空洞を埋めた人たちは、人の傷を手当てするように、樹木の傷もふさいで治そうとしたのだと思います。その思いは、樹木を大切にしたいという気持ちから出たものでしょう。けれども、樹木は、傷を治すのではなく、閉じ込めて、その外側に新しい層を重ねて生きていきます。人の体の時間と、樹木の体の時間は、同じではないのです。
生と死が、一本の中に
一本の樹木の中には、生と死が同居しています。生きた薄い層と、生きていない心材。腐れを閉じ込めた壁と、その外側で毎年重なっていく新しい年輪。

シャイゴは、樹木は動けないので長い一生のあいだに多くの傷を抱えることになり、区画化こそが、傷を受けたあとも長く生き続けることを可能にしている、と述べています。そうでなければ、樹木が何千年も生き、腐れを抱えながら、なお成長していることはないだろう、と。傷を抱えたまま立ち続けることは、樹木にとって、特別なことではなく、生きることそのものなのかもしれません。
第3回で、空洞を抱えた來宮神社の大楠の根元のことを書きました(第3回 残ったから、神になったのか)。空洞や傷を抱えた御神木の前で、人は手を合わせてきました。傷が無いから敬われるのではなく、傷を抱えたまま長い時間を立ち続けてきたからこそ、敬われてきたのではないか。私はそう考えています。
傷を治さない樹木は、傷ついた時間も、体の内側にしまい込んで生きていきます。年輪の中に閉じ込められた古い傷は、その樹木が生きてきた時間の、一つの証でもあるのだと思います。
次回は、縮んでいく老樹は弱っているのか、という問いから、樹木が老いるということを考えます。
株式会社トシ・ランドスケープ
樹木医 中村雅俊
出典・参考
・Shigo, A. L. (1984). Compartmentalization: a conceptual framework for understanding how trees grow and defend themselves. Annual Review of Phytopathology, 22, 189–214. Davey 社の Shigo 文献集 PDF(心材の定義と新しい細胞が古い細胞を包むこと p.190–191、死んだ部分を捨てず境界をつくること・新しい細胞を新しい場所につくること p.192–193、閉じ込めすぎると害になること・内部の解剖と傷をつける実験・区画化が長く生きることを可能にすること p.195。樹木を「多くの植物の集まり」とする記述と円錐のたとえ p.190。2026年10月12日確認)
・Shigo, A. L. & Marx, H. G. (1977). Compartmentalization of decay in trees. USDA Forest Service, Agriculture Information Bulletin 405. https://research.fs.usda.gov/treesearch/5292(四つの壁と、壁が絶対ではないこと)
・東京都建設局『令和3年度 街路樹診断等マニュアル』第Ⅶ章 参考資料 p.104(木材腐朽菌の多くは死んだ組織(木部)を分解し、形成層は生きた組織であること)
・当社記事 連載「樹木の時間」第3回 https://toshilandscape.co.jp/archives/14200
連載「樹木の時間 ― 御神木の前で考えたこと」
第1回 御神木の前に立つと
第2回 樹木は、神そのものではなかった
第3回 残ったから、神になったのか
第4回 「山川草木悉皆成仏」は誰の言葉か
第5回 共に生きてきた、は本当か(公開後にリンクを追記)
第6回 伐る者の作法(公開後にリンクを追記)
前回 第7回 熊楠が守ろうとした森
第8回 樹木は傷を治さない(この記事)
次回 第9回 老いることは、衰えることか(公開後にリンクを追記)
連載「樹木の時間」のすべての回は、連載の一覧からご覧いただけます。





















