御神木は、神そのものなのか、神が降りてくる場所なのか。古い言葉をたどると、樹木は神を迎える場所として選ばれてきたことが見えてきます。冬の朝の地鎮祭で揺れていた榊と、ひんやりとしたケヤキの幹の感触から、樹木の前で頭を下げるということを考えます。

幹に手を当てると、ひんやりと冷たかった
2025年の春、東京都杉並区の神社で、樹高20メートルを超えるケヤキの剪定をさせていただきました(御神木と向き合う日 東京都杉並区・神社の高木管理)。境内は交通量の多い道路に面していて、高所作業車とロープワークを併用しながら、当社の樹木医で空師の髙尾を中心に枝を整えた現場です。
御神木の剪定に入るとき、私は注連縄の内側に足を踏み入れる前に、一礼をします。このケヤキのときも同じでした。内側に入って幹に手を当てると、ひんやりと冷たかったのを覚えています。見上げると、枝の向こうに空が広がっていました。

あの現場の記事に、私は御神木のことを「神さまの依代(よりしろ)」と書きました。神が依りつくもの、という意味の言葉です。
では、注連縄の前で頭を下げるとき、その礼は目の前のケヤキに向いているのでしょうか。それとも、ケヤキに降りてくると考えられてきた、目に見えない神に向いているのでしょうか。御神木は神そのものなのか、神が降りる場所なのか。今回は、この問いを手のひらに残る幹の冷たさと一緒に持ちながら、考えてみます。
冬の朝、祭壇に立てられた一枝の榊
2026年の1月、植栽工事に先立つ地鎮祭に立ち会いました。冬の朝の空気は冷たく、日差しは明るいものでした。祭壇の上には注連縄と紙垂が張られ、酒や果物、野菜が並び、その中央に、紙垂と麻をつけた榊が一枝、まっすぐに立てられていました。

祝詞の声が響いて、周りが静まりました。風で、紙垂と榊の葉が揺れていました。身が引き締まる思いがして、これからこの土地に手を入れる側として、責任を感じたことも覚えています。そして祭壇を前に、自分たちはいま、神様をお迎えする場をつくっているのだと思いました。
この祭壇の中央の榊は、神籬(ひもろぎ)と呼ばれます。神籬とは、神を招き降ろすために立てる、常緑樹の神の座のことです。社殿のない場所で神を迎えるときには、神の宿る場所としるしが要る。地鎮祭の一枝の榊は、そのために立てられているのだと、事典には説明されています。

神は目に見えません。見えないものを迎えるとき、人は、冬の光の中で揺れる葉や、静けさの中に響く声に、その気配を重ねてきたのかもしれません。あの朝の揺れる榊の葉と、静まったまわりの空気は、いまもその気配として覚えています。
谷崎潤一郎は随筆『陰翳礼讃』で、日本の美しさは、明るく照らし出すことよりも、薄暗がりや陰の中にこそある、と書きました。見えないものを、見えないまま大切にする感じ方です。私は以前、この随筆と樹木の木漏れ日を結んで文章を書いたことがあります。木漏れ日もまた、葉が光をさえぎることで生まれる、揺れる陰です。
神籬の葉が揺れるのを見て、人は神の姿を見たわけではありません。それでも、そこに何かが来ていると感じてきた。神を迎えるということは、はっきり見えるものよりも、かすかな揺れや静けさに耳を澄ますことだったのではないかと思います。
神は、いつもそこに居るわけではない
神籬という言葉は、奈良時代に編まれた『日本書紀』にすでに出てきます。天から降りてくる孫のために、神籬と磐境(いわさか)を立てて神を斎き祀ろう、という言葉です。磐境は、神を迎える場所の境を表す言葉と考えられています。
ここで大切にしたいのは、神は人のいる場所にいつも居るのではなく、招かれて降りてくるもの、あるいは山や樹木に鎮まっているものとして考えられていた、ということです。
奈良県桜井市の大神神社(おおみわじんじゃ)は、いまも本殿を持っていません。ご祭神が三輪山に鎮まるとされ、人は拝殿の奥の三ツ鳥居を通して、山そのものを拝んでいます。拝殿の奥は、ふだんは神職も立ち入らない場所だといいます。神の居る場所と、人の居る場所のあいだに、はっきりとした境が置かれているのです。
注連縄も、その境の一つです。境の内側と外側で、景色が大きく変わるわけではありません。それでも縄一本の向こうを、人は特別な場所として感じ取ってきました。御神木の前で私が頭を下げるのは、その境に立ったとき、自然とそうしたくなるからではないかと思います。
なぜ、高い樹木だったのか
「依り代」という言葉を、神祭りを読み解く考え方として示したのは、民俗学者の折口信夫でした。大正4年(1915年)の論文「髯籠(ひげこ)の話」で、神を迎える場所にそびえる樹木を、神の依り代として描いています。その樹木は、ムラの集落から離れた神迎えの場「標山(しめやま)」に立つものだったといいます。同じころ柳田國男も、神は高い樹木の頂に降りてくるという信仰について書いています。
柳田は、聖なる場所のしるしに高いものを立てたから神がそこに憑くと考えるようになったのか、神は高い樹の頂に降りるという信仰があったから高いものを立てたのか、どちらが先かは「容易に決しかねる」とも書いています。信仰が先か、形が先か。この問いは、次回の「残ったから、神になったのか」にもつながっていきます。
神は、なぜ高い樹木に降りると考えられたのでしょうか。
杉並のケヤキの梢は、地面から20メートルを超える高さにありました。建物でいえば6、7階ほどです。髙尾たちはロープでその樹冠の上の方まで登りましたが、ケヤキは何十年もかけて、同じ場所でその高さまで伸びてきました。見上げたとき枝の向こうに広がっていた空を思い出すと、梢というのは、その土地でいちばん空に近い場所の一つなのだと思います。

地面に根を張り、空に向かって枝を広げる樹木は、人の目には、地と空のあいだに立つものとして映ってきたのではないか。神が空から降りてくると考えた人々が、その降り立つ場所として高い樹木を思い描いたのは、自然なことだったように思えます。
選ばれた理由は、長く立ち続けたこと
ここからは、私の解釈です。
樹木の側から見ると、神が降りる場所に選ばれた理由は、ずいぶん単純なものに思えます。高く、古く、同じ場所に立ち続けてきたこと。樹木の方から何かを望んだわけではありません。動けないまま、何十年、何百年とそこにいたことが、人の目に留まったのだと思います。
地鎮祭の榊と境内の御神木を並べてみると、そのことがよく分かります。神籬は、その日の祭りのために立てる一枝です。御神木は、切られることなく、生きたまま同じ場所に立ち続けています。神を迎える場所という意味では同じでも、流れている時間がまるで違います。
信仰は、長く立っていたことへの人の応答だったのではないか。私はいま、そう考えています。
そう考えると、注連縄の前の一礼も、少し違って見えてきます。樹木そのものを神とみなして頭を下げているのではなく、神を迎える場所に選ばれるほど長く、そこに立ってきた時間に対して、頭を下げているのかもしれません。手に残る幹の冷たさは、その時間の手ざわりだったようにも思えます。
第1回で、樹木に敬意を払うとは、自分の時間の尺度を樹木の時間に合わせることではないか、と書きました。注連縄の前の一礼は、その切り替えを、言葉より先に体に知らせる所作なのだと、いまは考えています。
年月が、神々しさになる
ただ、古い言葉の中には、樹木そのものを神とする名前もあります。『古事記』には、木の神、久々能智神(くくのちのかみ)が登場します。神が降りてくる場所としての樹木と、木そのものの神。二つの感じ方は、千三百年前の書物の中で、すでに並んでいました。どちらか一方だけが正しいと言い切ることは、私にはできません。
もう一つ、心に残る言葉があります。『万葉集』に詠まれた「神さぶ(かむさぶ)」です。奈良の石上(いそのかみ)にあった「布留(ふる)の神杉(かむすぎ)」を詠んだ歌に、「石上 布留の神杉 神さぶて 恋をも我は 更にするかも」(巻11)があります。布留の神杉のように神さびた身でありながら、私はまた恋をするのだろうか、という意味です。同じ神杉を詠んだ別の一首(巻10)は、奈良県立万葉文化館の現代語訳で「神杉のように神々しく年とってしまった私が」と訳されています。
年を重ねることと、神々しくなることが、一つの言葉の中で重なっています。古い杉の前に立った人は、その神々しさを、杉が経てきた年月と切り離さずに感じ取っていたのでしょう。
古びたものに美しさを見る、侘びや寂びの感じ方は、この「神さぶ」とどこかでつながっているのでしょうか。苔むした幹や、深い割れ目の入った樹皮を前にしたとき、人が言葉にならない静けさを覚えるのは、そこに積み重なった時間を、目より先に体で受け取っているからなのかもしれません。
都市の中の、縄一本の境
杉並のケヤキは、車の行き交う道路のすぐそばに立っていました。その境内で、注連縄を一本またいで幹に手を当てると、ひんやりとした感触があり、見上げれば枝の向こうに空がありました。
都心に本当に必要なのは、何もしないでいられる「無為の空間」ではないか。私は長いあいだ、そう考えてきました。御神木のまわりは、都市の中に残された、そういう場所の一つに数えられるように思います。縄一本の境を越えるだけで、時間の尺度が、人のものから樹木のものへと切り替わる場所です。
樹木医の仕事は、樹木の状態を数字にすることでもあります。幹の太さを測り、傷や空洞の大きさを測ります。けれども、注連縄の内側で手に感じた冷たさや、見上げた空の広さは、数字にはなりません。都市の緑がもたらしているものの中には、こうした数字にならないものが、確かに含まれているのだと思います。
注連縄の前の一礼は、樹木に向いているのか、樹木に降りる神に向いているのか。それとも、神を迎えるほど長く立ってきた時間に向いているのか。この問いは、答えを出さないまま、次の御神木の前にも持っていきたいと思います。
次回は、巨樹はなぜ社寺に残っているのか、という問いから、残ることと神になることの関係を考えます。
株式会社トシ・ランドスケープ
樹木医 中村雅俊
出典・参考
・当社記事「御神木と向き合う日 東京都杉並区・神社の高木管理」(2025年4月6日) https://toshilandscape.co.jp/archives/9972
・コトバンク「神籬」(平凡社『改訂新版 世界大百科事典』茂木貞純、小学館『日本大百科全書』鎌田純一) https://kotobank.jp/word/%E7%A5%9E%E7%B1%AC-120935(日本書紀の天孫降臨の条の引用、神籬の意味、地鎮祭の神籬。2026年10月8日確認)
・コトバンク「磐座・磐境」(平凡社『改訂新版 世界大百科事典』茂木貞純・水野正好) https://kotobank.jp/word/%E7%A3%90%E5%BA%A7%E7%A3%90%E5%A2%83-1147116(磐境の意味。2026年10月8日確認)
・小川直之「神霊樹信仰の諸相 ― アジアの視点から ―」『東アジア文化研究』第7号、國學院大學大学院文学研究科、2022年2月、1〜40頁 https://doi.org/10.57529/00001631(折口信夫「髯籠の話」の依代と標山、柳田國男の神は喬木の頂に降りるという信仰。2026年10月8日確認)
・大神神社「大神神社について」 https://oomiwa.or.jp/jinja/、「三ツ鳥居と拝殿」 https://oomiwa.or.jp/jinja/mitsudorii/(2026年10月8日確認)
・谷崎潤一郎『陰翳礼讃』(初出「経済往来」1933年12月号・1934年1月号) 青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/001383/card56642.html(2026年10月8日確認)
・國學院大學 古典文化学事業「神名データベース」久々能智神 https://kojiki.kokugakuin.ac.jp/shinmei/kukunochinokami/(2026年10月8日確認)
・奈良県立万葉文化館「万葉百科」巻10-1927 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/detailLink?cls=db_manyo&pkey=1927、巻11-2417 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/detailLink?cls=db_manyo&pkey=2417(石上布留の神杉の歌と現代語訳。2026年10月8日確認)
連載「樹木の時間 ― 御神木の前で考えたこと」
前回 第1回 御神木の前に立つと
第2回 樹木は、神そのものではなかった(この記事)
次回 第3回 残ったから、神になったのか(公開後にリンクを追記)
































