青森県の弘前公園には52品種・約2,600本のサクラがあり、樹齢100年を超えるソメイヨシノが300本以上残っています。リンゴ栽培の技術をサクラに応用した管理法「弘前方式」は、1950年代に始まり、1973年の論争を経て理論になり、今は樹木医のチームが受け継いでいます。その歴史と体制を、東京の樹木医の目で読みます。
この連載は全4回です。第1回は弘前方式が生まれた歴史と、それを支える体制。第2回は剪定・施肥・土壌改良という技術の中身。第3回は実績と、研究が示すもの・示さないもの。第4回は、東京の公園や街路樹、マンションのサクラにどこまで持ち込めるか(それぞれ公開後にこの記事の末尾からたどれます)。
2026年春、千鳥ヶ淵と砧公園でソメイヨシノが相次いで倒れ、私はテレビの取材を受けました。「ソメイヨシノの寿命は60年」という話が、倒木のたびに持ち出されます。それに対して私は、取材を受けて書いた記事で、青森県の天然記念物「弘前公園最長寿のソメイヨシノ」が1882年に植えられたと伝わり、今も手入れで伸びた不定根とひこばえに支えられて生きていることを挙げました(砧公園・千鳥ヶ淵のサクラ倒木 フジテレビ「Live News イット!」様の取材を受けて)。では、弘前では何が行われてきたのか。公開されている一次資料をたどって、まずは歴史から整理します。
弘前公園のサクラはどこから来たか──1715年の25本と、1882年の菊池楯衛

弘前城の堀と満開のソメイヨシノ(2016年4月23日。この日に満開宣言が出された)。撮影: 掬茶、Wikimedia Commons、CC BY-SA 4.0
弘前公園は弘前城の跡地で、1952(昭和27)年に約49haが史跡に指定されています。サクラの始まりは、正徳5(1715)年に弘前藩士が京都の嵐山から25本のカスミザクラなどを持ち帰って城内に植えた、と伝えられています(弘前さくらまつり公式サイト「弘前さくらまつり(観桜会)の歴史」)。
今の花の景色をつくったのは、明治15(1882)年の植栽です。弘前市文化財課の小石川透氏によると、旧弘前藩士の菊池楯衛が、ソメイヨシノ1,000本を二の丸と西の郭に植えました。菊池は青森県の「リンゴ栽培の祖」として知られる人物です(サライ.jp、2016年4月22日)。市の文化財ページは、廃藩置県の後に荒れていく城内を憂いての植樹だったと書き、植えた苗木が折られたり引き抜かれたりすることもあったと、弘前さくらまつりの公式サイトは伝えています。リンゴとサクラを同じ人物が持ち込んだという事実が、70年後に弘前方式として結び直されることになります。
その後、1901(明治34)年から1903(明治36)年にかけて、大正天皇の結婚記念としてさらに1,000本、1914(大正3)年には枝垂桜350本の寄附、1956(昭和31)年には元市議会委員の福士忠吉氏からソメイヨシノ1,300本の寄贈がありました(同サイト、橋場真紀子「サクラの弘前公園」樹木医学研究、2024年)。今の弘前公園のソメイヨシノは約1,700本(弘前市発表、2026年4月)。その中に、樹齢100年を超える木が300本以上(弘前市文化財課)、現場の樹木医の数え方では約400本(橋場、2024年)あります。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1715(正徳5)年 | 弘前藩士が京都の嵐山から25本のカスミザクラなどを持ち帰り城内に植えたと伝わる |
| 1882(明治15)年 | 旧藩士の菊池楯衛がソメイヨシノ1,000本を二の丸・西の郭に植える |
| 1901〜1903年 | 大正天皇の結婚記念としてソメイヨシノ1,000本 |
| 1914(大正3)年 | 枝垂桜350本の寄附 |
| 1952(昭和27)年 | 約49haが史跡に指定され、公園管理事務所が設置される |
| 1956(昭和31)年 | 福士忠吉氏がソメイヨシノ1,300本を寄贈 |
| 1973(昭和48)年 | 剪定の是非をめぐる「桜論争」 |
| 2014(平成26)年 | 樹木医の資格を条件に職員を公募し、チーム制へ |
| 2016(平成28)年 | 「弘前公園最長寿のソメイヨシノ」が青森県の天然記念物に指定(4月18日) |
| 2023(令和5)年 | 2月の剪定から樹高を下げる「令和の剪定」に着手 |
出典: 弘前さくらまつり公式サイト「弘前さくらまつり(観桜会)の歴史」、サライ.jp(小石川透、2016年)、橋場真紀子(2024)樹木医学研究 28(2)、青森県「弘前公園最長寿のソメイヨシノ」、公園財団「公園文化」(2018年)、陸奥新報(2023年2月25日)

弘前公園のサクラと弘前方式の年表(当社作図。出典は上の表と同じ)
1882年の1,000本のうちの1本と伝わる木が、今も生きている
二の丸の与力番所の前に、菊池楯衛が植えた1,000本のうちの1本と伝わるソメイヨシノがあります。2016(平成28)年4月18日に青森県の天然記念物に指定されたときの記録は、推定樹齢約133年、樹高約8.5m、幹周443cmです(青森県教育委員会文化財保護課)。弘前市の文化財ページの現行の表記は「推定樹齢140年以上」。植えた時期と場所が特定できるソメイヨシノとして、数少ない例です。
県の解説には、樹木医として目が止まる一文があります。元からあった東側の主幹は枯れかかっていたが、以前に行った土壌改良と剪定などの手入れによって多数の不定根が伸び、新たにひこばえと側枝が勢いを増して本体を支えている、という趣旨の記述です。幹の途中から出た根(不定根)が地面に届き、根元から出た若い枝(ひこばえ)が樹冠を作り直す。古い幹が傷んでも、木の「世代交代」が一本の中で起きている。それを公的な台帳が記録していることが、この木の価値だと私は思います。

枯れかかった主幹を、幹から伸びた不定根と、根元からのひこばえ・側枝が支える(青森県の天然記念物の解説をもとにした模式図。実物の形ではありません)
なお、日本で最も古いソメイヨシノという言い方は、今は使えません。ウェザーニュース(2023年4月8日)は、福島県郡山市の開成山公園で1878(明治11)年に植えられたソメイヨシノが確認され、弘前の木は最古の座を譲ったと報じています。弘前市と青森県の公式の表記も「最長寿」であって「日本最古」ではありません。この連載でも「弘前公園最長寿のソメイヨシノ」と呼びます。
「桜切る馬鹿」を覆す──1952年の公園管理事務所と、リンゴ農家の職員
「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」という言い回しは、サクラの枝を切ると切り口から腐りやすいことから来ているとされます。公益財団法人日本花の会は、サクラは枝の切り口から腐りやすく、太い枝を切ると木が衰弱する原因になると注意したうえで、「桜の枝を切ってはいけない」という諺は間違いだと書いています。切ってはいけないのではなく、太くなる前に、正しい位置で切る。それが今の標準的な考え方です(当社の記事「剪定の時期はいつ」でも同じ立場で書いています)。
弘前は、この常識が「切ってはいけない」の側に傾いていた時代に、切ることを選んだ町です。橋場真紀子氏(弘前市公園緑地課)の論文によると、1952年の史跡指定を機に公園管理事務所(今の公園緑地課)が置かれた1950年代、明治に植えたソメイヨシノは樹齢60年を超え、樹勢が下がっていました。初代の公園管理事務所長だった工藤長政氏が、リンゴ栽培を参考にした剪定の技術を持ち込んだ、と橋場氏は記しています(樹木医学研究、2024年)。

初春の弘前市のリンゴ畑と岩木山。撮影者の説明では、おおむねこの時期にリンゴの木は剪定される。撮影: あおもりくま、Wikimedia Commons、CC BY-SA 3.0
始まりの年については、資料の間で少し幅があります。弘前さくらまつりの公式サイトは、1952年に実家がリンゴ農家だった職員が弱ったサクラの枝を思い切って剪定し、根元に肥料を施したと書きます。一方、チーム桜守の海老名雄次氏は取材に「桜の管理を本格的に始めたのは、昭和30年代の半ばだと聞いています」と答えています(Workin.jp、2018年4月2日)。1950年代に試みが始まり、昭和30年代の半ば(1960年前後)に本格化した、と私は読みます。
リンゴもサクラも同じバラ科の木です。リンゴ栽培では、実を付ける枝を毎年の剪定で更新し、肥料で木の力を保ちます。その考え方をサクラの花に向けた──弘前方式を一言でいえば、そういう技術です(中身は第2回で詳しく書きます)。ここで押さえておきたいのは、始まりが「剪定」だけではなく「根元に肥料を施した」ことと対で語られている点です。
1973年の「桜論争」──批判を経て、理論になった
弘前方式は、すんなり受け入れられたわけではありません。弘前市の移住情報サイト「弘前ぐらし」の記事(中西富恵、2021年3月18日)によると、1973年に大学の教授が「剪定した切り口から病原菌が入る」と指摘し、剪定の是非が市議会やマスコミでも大きく取り上げられる「桜論争」が起きました。この論争をきっかけに、新しい苗木の育成や適正な樹間の研究などが進んだ、と記事は伝えています。
その積み重ねの一つが、切り方の理論です。橋場氏の論文によれば、弘前市は1990年代から、アメリカの樹木学者アレックス・シャイゴの、樹木の防御機構と剪定方法の理論を取り入れました。枝の付け根のふくらみ(ブランチカラー)を残して切り、木が自分で切り口を閉じる力を妨げない切り方です。1973年の批判の論点、つまり「切り口から病原菌が入る」は、間違いではありませんでした。弘前は批判を否定するのではなく、切り方を変えることで答えた。そう私は読んでいます。この順序は、今の東京のサクラ管理を考えるうえでも大事です(第4回で戻ります)。
歴代の桜守──名人の技から、チームの技へ
弘前で桜の管理を担ってきた人たちは、市の職員です。海老名氏は、初代の公園管理事務所長だった工藤長政氏(昭和29〜45年)が「最初の『桜守』ではないかと言われているようです」と語っています(Workin.jp、2018年)。
| 時期 | 人物 | 役割(出典) |
|---|---|---|
| 昭和29〜45年 | 工藤長政 | 初代公園管理事務所長、リンゴ栽培を参考にした剪定技術を導入(橋場 2024、Workin.jp 2018) |
| 昭和46〜55年 | 石戸谷恵二郎 | 2代目公園管理事務所長(Workin.jp 2018) |
| 昭和48年〜平成12年 | 小林範士 | 公園緑地課主幹、樹木医、弘前方式を体系化、ソメイヨシノの早咲き化を見越して遅咲きのヤエベニシダレを植えた(陸奥新報社説 2023年12月9日) |
| 2000年〜2022年3月 | 小林勝 | 範士氏の弟、樹木医、2000年に兄が体調を崩したのを機に引き継ぎ、2004年に公園緑地課へ、2013年5月6日放送の NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演、2022年3月31日に68歳で退職(陸奥新報 2022年3月26日) |
| 2014年〜 | チーム桜守 | 樹木医の資格を条件に職員を公募しチーム制へ(公園財団「公園文化」2018年)、橋場真紀子氏、海老名雄次氏、2023年度から丸居和氏の樹木医3名と現場職員等で約50名(橋場 2024) |
在任の年はそれぞれの出典の表記のまま。小林勝氏の経歴のうち出典の読めなかった事項(出身大学・資格の取得年)は載せていません

弘前公園の桜守の系譜(当社作図。出典は上の表と同じ)
転機は2014年です。小林勝氏の定年を前に、市は樹木医の資格を持つことを条件に職員を公募し、特定の個人ではなくチームで管理する体制に切り替えました。橋場氏はその理由を、「担当者が退職したり、病気になったりしても適切な管理ができるよう」と説明しています(公園財団「公園文化」、2018年2月)。2023年度からは、樹木医だけでなく作業員を含めた約45人の総称を「チーム桜守」と呼んでいます(陸奥新報、2024年4月22日)。
樹木学者の勝木俊雄氏は、弘前の体制について、50年以上一貫した方針で管理が継続され、常に樹木医の資格を持つ市の職員が管理に携わっている点で、全国で類を見ないほど優れた桜守の組織だと評価しています(家庭画報.com、2026年3月18日)。名人の技を、組織の技に変えた。これが、弘前方式の歴史の大きな転換点だと私は読んでいます。
2011年12月、大シダレ桜が倒れた
名人の時代の象徴的な出来事が、2011年12月の雪害です。樹齢100年の大シダレ桜が雪の重みで倒れました。小林勝氏がその木を再生させようとする取り組みは、2013年5月6日放送の NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で取り上げられています(弘前さくらまつり公式サイト、2013年5月5日)。倒れた木の再生に取り組む。その判断を一人の名人に頼る時代から、樹木医3名を含む約50名で判断する時代へ。弘前は2014年にそこへ踏み出しました。
樹木医として読む──「体制こそ技術」という教訓
東京で公園や街路樹、マンションの植栽を見ている私の実感として、サクラの管理がうまくいかない原因の多くは、技術よりも「続かないこと」にあります。単年度の委託で業者が変わる。担当者が異動する。前の年に誰がどの枝をどう切ったか、記録が残っていない。そういう現場では、どんなに良い剪定の理論を持ち込んでも、3年後の枝ぶりを想定して切る、という弘前のやり方は成り立ちません。
弘前の桜守は、同じ木を毎年同じ目で見続けています。公園財団の記事で橋場氏は、公園のさまざまな状況を教えてくれる市民が30人ほどいる、とも書いています。市の職員と市民の目が重なって、木の小さな変化が拾われる。当社も、都内のサクラ並木で土壌改良を行った記事で、地域の方がサクラを日常的に見守る「桜守活動」が今後の維持管理の大きな力になると書きました(サクラ並木 樹木医 土壌改良・エアレーション 東京都)。
当社が GREEN MANAGEMENT として掲げてきた、自社で一貫して管理すること、科学的な知見と現場の経験を合わせること、長期の計画を立てることは、言葉にすれば弘前が60年以上かけてやってきたことと重なります。違いは規模と年数です。樹木医3名を含む約50名が、約2,600本を60年以上。その数字の重さを、第2回では技術の中身として見ていきます。
株式会社トシ・ランドスケープ
樹木医 中村雅俊
出典・参考情報
- 橋場真紀子(2024)「サクラの弘前公園」樹木医学研究 28(2): 102-109 J-STAGE
- 弘前市(文化財課)「弘前公園最長寿のソメイヨシノ」 ページ
- 青森県教育委員会文化財保護課「弘前公園最長寿のソメイヨシノ」 ページ
- 弘前さくらまつり公式サイト(株式会社コンシス運営)「弘前さくらまつり(観桜会)の歴史」 ページ / 「弘前公園のチーム桜守」 ページ / 「弘前公園さくら情報(弘前市発表)」2026年4月19日 ページ / 「NHKプロフェッショナル仕事の流儀に登場する弘前公園 雪の重みで倒れた大シダレ桜」2013年5月5日 ページ
- 小石川透(弘前市文化財課)「弘前城の桜、誕生秘話(後編)」サライ.jp、2016年4月22日 記事
- 弘前市シティプロモーション「日本一太いソメイヨシノがさらに成長」2023年10月18日 ページ
- 弘前ぐらし(弘前市移住情報サイト)「剪定作業の先に見える一面の桜」中西富恵、2021年3月18日 記事
- 一般財団法人公園財団「公園文化」第10回「弘前公園のサクラを後世に引き継ぐ」(橋場真紀子)2018年2月 ページ
- Workin.jp 人∞仕事通信「弘前の春、名物の桜を見守りつづける弘前公園の「桜守」たち」2018年4月2日 記事
- 陸奥新報「弘前公園桜守の小林さん退職」2022年3月26日 記事 / 社説「弘前の桜管理方式「“高い技術”自体が観光資源」」2023年12月9日 記事 / 「「日本一」後世に 弘前・チーム桜守10年」2024年4月22日 記事 / 「桜の樹高下げる剪定着手/弘前・チーム桜守」2023年2月25日 記事
- 家庭画報.com「日本全国の桜守が一目置く“弘前方式”。弘前市公園緑地課の「チーム桜守」」2026年3月18日 記事
- ウェザーニュース「「最古のソメイヨシノ」が塗り替えられた!? 三大桜名所、弘前公園の桜は“ここが違う”」2023年4月8日 記事
- 公益財団法人日本花の会「FAQ・桜の豆知識」 ページ / 「整枝・剪定」 ページ
- NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」第199回「桜よ、永遠に美しく咲け〜樹木医・小林勝〜」2013年5月6日放送 番組ページ
よくある質問(Q&A)
Q1. 弘前方式とは何ですか?
A. 青森県の弘前公園で、リンゴ栽培の技術をサクラに応用して続けてきた管理法です。1950年代に、初代の公園管理事務所長がリンゴ栽培を参考にした剪定を持ち込んだことに始まり、剪定と施肥を対にして木を若返らせる考え方を、1973年の論争を経て理論にしてきました。1990年代からはシャイゴの剪定理論を取り入れています。技術の中身は連載の第2回で書いています。
Q2. 弘前公園にはサクラが何本ありますか?
A. 弘前市の発表では52品種・約2,600本で、うちソメイヨシノは約1,700本です。樹齢100年を超えるソメイヨシノは、弘前市文化財課のページでは300本以上、現場の樹木医である橋場真紀子氏の論文では約400本とされています。最長寿の木は1882年に植えられたと伝わり、青森県の天然記念物に指定されています。
Q3. 「桜切る馬鹿」という言葉は本当ですか?
A. サクラは枝の切り口から腐りやすく、太い枝を切ると衰弱の原因になることは事実です。ただし日本花の会は、「桜の枝を切ってはいけない」という諺は間違いだと書いています。太くなる前に、枝の付け根のふくらみを残して正しい位置で切るのが、今の標準的な考え方です。弘前公園はこの考え方を、1973年の論争と1990年代のシャイゴ理論の導入を経て、管理の中に組み込んできました。
Q4. 弘前公園の桜守とはどんな人たちですか?
A. 弘前市の職員です。初代の公園管理事務所長だった工藤長政氏、小林範士氏、小林勝氏と受け継がれ、2014年からは樹木医の資格を条件に公募した職員によるチーム制になりました。現在は樹木医3名と現場職員等で約50名の体制で、2023年度からは作業員を含めた約45人の総称を「チーム桜守」と呼んでいます。
Q5. 弘前公園のソメイヨシノは日本で最も古い木ですか?
A. 今は「日本最古」とは言えません。福島県郡山市の開成山公園で1878年に植えられたソメイヨシノが確認され、弘前市と青森県の公式な表記も「弘前公園最長寿のソメイヨシノ」です。1882年に菊池楯衛が植えた1,000本のうちの1本と伝わり、植えた時期と場所が特定できる点で貴重な木です。
Q6. 1973年の桜論争とは何ですか?
A. 大学の教授が「剪定した切り口から病原菌が入る」と指摘したことをきっかけに、弘前公園のサクラの剪定の是非が市議会やマスコミで大きく取り上げられた論争です。これを機に、苗木の育成や適正な樹間の研究が進んだと伝えられています。切り口から病原菌が入るという指摘自体は正しく、弘前市は1990年代から、枝の付け根のふくらみを残して切るシャイゴの剪定理論を取り入れています。
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連載「弘前方式を、樹木医はどう読むか」のすべての回は、連載の一覧からご覧いただけます。

































