闇に浮かぶ 一筋の花房
日没とともに、1メートルを超える長い花房が、闇のなかへ一筋ずつ浮かび上がっていきました。
あしかがフラワーパーク、夜間ライトアップです。
- 夜の藤棚と水面
- ライトアップされた藤棚
樹木医の目で藤棚を見上げると、どうしても時間の重みを感じてしまいます。園のシンボルである大藤は、樹齢160年超。幹の直径は1メートルを超えます。「移植は不可能」とされたこの藤を、1996年に動かしたのは、日本初の女性樹木医・塚本こなみ先生でした。
骨折治療用ギプスから着想を得て、脆く柔らかい幹を石膏包帯で守ったという逸話があります。延べ2,000人の手を経て、藤は今の場所に運ばれたと言われています。
同じ樹木医として、あの棚を見上げるたびに、技術と覚悟の重みがじわっと胸に降りてきます。樹齢、移植、その後の養生。それらすべてを経て、今夜、頭上にひろがる600畳の藤の花。ひとつの景色の背後に、これだけの人と時間があります。はじめて棚の下に立ったとき、その事実に息が詰まりました。
夜気ごと甘くなる
そしてこの藤を、さらに印象的にしているのが香りです。
押しつけがましくなく、ふわっと鼻先をかすめたかと思うと、気づけば園内全体がその気配に包まれている。甘いけれど、重たくない。花の匂いというより、夜気そのものがほのかに甘くなっていくような、不思議な感じ方をしました。
「満開」という言葉は簡単に使われますが、本当の満開は、花数だけではなく香りの濃度でも感じられるものなのかもしれません。贅沢な夜でした。
翌朝、今度はじっくり昼の藤を歩きました。
- 水面に映る藤
- 夜の白藤
- 花房が下がる夜の藤棚
- 夜の園内
六つの藤が咲き継ぐ園
ご存じの方も多いと思いますが、園内には性格のまるで違う藤が、順に咲き継ぎます。大藤(むらさき藤)、大長藤、八重黒龍藤、白藤のトンネル、うす紅藤、そして、きばな藤。
大藤を構成するノダナガフジ3本と八重黒龍1本、白フジのトンネル一式は栃木県の天然記念物に指定されています。連結棚は約2,000平方メートル。日本最大の藤棚です。
- 藤の上の枝にとまるサギ
- 昼の大藤と幹
- 池のほとりの藤棚
- 藤棚の下
藤の香りを化学する
大藤、大長藤、うす紅藤は、いずれもノダフジ系です。香りはよく言われる「藤の甘さ」そのもの。ふんわりと粉を含んだような、穏やかな匂いがします。
コーセーが行った香気成分研究によれば、ノダフジ系の主要成分はリナロール、ベンズアルデヒド、アセトフェノン。リナロールはラベンダーの主要成分でもあります。藤棚の下でつい長居してしまうのは、この香りのせいもあるのかもしれないと、私は感じています。
八重黒龍藤——教科書の外側
さて、少し恥ずかしい話をします。私は長らく「八重咲きの花は香りが弱まる傾向がある」という一般論を信じていました。雄しべが弁化するなら、香りの源も削られていくだろうと思っていました。
ところが八重黒龍藤の下に立つと、認識がひっくり返りました。花房20〜30cm、濃紅紫色の八重咲き。雄しべが弁化して牡丹のように咲く品種ですが、香りは弱まるどころか、むしろ強い。
調べてみて納得しました。コーセーの研究で、八重黒龍藤からは171もの香気成分が検出されています。これはヤマフジ系で最も香りが強いとされる「紫花美短(ムラサキカピタン)」と同数です。あしかがフラワーパークの八重黒龍藤は樹齢約160年。園でも「最も香りの強い甘い香り」と案内されています。
植物は教科書から少しずつ、こちらの予想をはみ出してくれる。それが樹木医という仕事の、面白いところだと思っています。
白藤のトンネル——嗅覚だけが満ちていく
白藤のトンネルは全長80m。園自身が「シロフジはムラサキフジと比較して香りが強く、トンネルをくぐると甘い香りにつつまれて幸せな気分にひたれます」と紹介しています。
現場の実感ともぴったり重なります。薄暗い棚の下で、白い花房だけが発光しているように垂れていて、その下を歩くと、視界はすうっと沈むのに、嗅覚のほうだけが満ちていく。あの感覚は、何度通っても新鮮です。
- 白藤のトンネル
- 白藤のトンネルを歩く人
きばな藤——じつはフジではない
最後に、園内に約200本ある「きばな藤」。和名はキングサリです。藤に似た黄色い花房を垂らしますが、フジ属ではありません。学名 Laburnum anagyroides、マメ科キングサリ属、ヨーロッパ中南部原産。ほのかに別種の匂いがします。
一房ごとに、鼻を近づけたくなる
藤棚を歩いていると、いつも、一房ごとに鼻を近づけたくなります。
うす紅藤の控えめな粉の甘さ。大藤の穏やかな広がり。八重黒龍藤の重い蜜のような濃さ。白藤のすっと立ち上がる芳香。そしてきばな藤のほのかな別種の匂い。
色で語られがちな藤ですが、じつは香りという、もうひとつの大きな魅力があります。藤色が移ろう1か月のあいだ、香りもまた品種ごとに表情を変えながら、ゆっくりと園内を流れていく感じです。
夜の光と、昼の香り。あしかがフラワーパークで、とても贅沢な時間を過ごすことができました。
株式会社トシ・ランドスケープ
樹木医 中村雅俊
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