慶應義塾大学のほど近く、都心の喧騒からわずかに外れた一角に、日蓮宗・妙荘山薬王寺はあります。
スダジイ、イチョウ、エノキ、クロマツ、アオギリ、ミズキなど、境内には長い歳月をかけて育った大径木の樹木が点在し、参道や墓所のあいだで静かに枝を広げています。
今回、この薬王寺様の境内樹木を対象に、2日間にわたる樹木診断、機器診断のお手伝いをさせていただきました。
ご相談くださったのは、普段から境内の樹木管理に関わっておられるマメシバ造園の河合菜採樹木医です。
倒木事故が問いかけるもの
2026年の春、東京では桜の満開と時を同じくして、立て続けに倒木事故が起きました。
砧公園でのサクラの倒伏、千鳥ヶ淵での桜の倒木。テレビや新聞で大きく報じられたこれらの事故は、記憶に新しいところです。
- 根鉢と幹の切断面
- 倒れたヒマラヤスギの根鉢
- 倒れたサクラと玉切りした幹
国土交通省が令和7年4月に公表した「倒木等による事故に関する全国調査」によれば、令和3年4月から令和6年11月までの約3年半のあいだに、全国の都市公園と道路で発生した倒木・落枝等の事故は合わせて1,700件を超えています。都市公園だけを見ても、年度ごとの件数は令和3年度の121件から令和5年度の316件へと、わずか2年で2.6倍に増加しました。
高度経済成長期に植えられた街路樹や公園樹が半世紀を超え、老木化が進んでいる。都市部では舗装や踏圧で根が十分に張れず、地下にはガス管や水道管が埋設され、木が本来必要とする生育基盤が圧迫されている。こうした構造的な問題が、個々の倒木事故の背景にあります。
安全確保の観点から伐採の判断が急がれる場面は確かに増えています。
けれども、だからこそ「本当に危険なのか」「どの程度のリスクなのか」を客観的に示すことの意味は、以前にも増して重くなっていると感じます。
「保全か更新か」——河合樹木医の問いかけ
薬王寺様の境内の木々は、長年にわたる管理の中で老朽化が進んでいました。
一方で、これらの木々は境内のランドマークであり、ご住職にとっては愛着のある存在でもあります。
「保全か更新か」——その判断に悩まれていたのが、今回の背景です。
河合さんは、管理者として剪定に関わる中で、樹幹や外観の観察による所見を丹念に蓄積してこられました。
しかし、それだけでは判断の決め手を欠く。機器診断による客観的なデータの裏づけが必要だと考えご相談くださいました。
河合さんの提案書にあった一節が、今回の診断業務の出発点を端的に示しています。
「単に異常があるかどうかを見るのではなく、どのようにこの木と付き合っていくかを考えるための材料を整えること」。
この姿勢に、深く共感しました。
樹木診断の現場では、しばしば「切るべきか、残すべきか」という二者択一を迫られます。
けれども実際には、その間にこそ判断の幅がある。残すにしても根拠が要る。対処するにしても、関係者が納得できる筋道がなければ、後に禍根を残します。
とりわけ寺院の境内という場は、樹木が単なる植栽ではありません。参拝者の記憶、四季の風景、信仰の場の空気そのものを形づくっている存在です。
アーボソニック3D——音波で木の内側を「見る」技術
今回の診断で主体となったのが、アーボソニック3D(ArborSonic 3D)による音波速度計測です。
アーボソニック3Dは、ハンガリーのFAKOPP社が開発した応力波速度測定器です。原理はシンプルで、幹の円周に沿って複数のセンサーを等間隔に配置し、ひとつずつ軽く叩く。その振動(応力波)が他のセンサーに届くまでの時間を計測します。
- 幹に付けたセンサーを叩いて測る
- 樹皮の傷んだ幹に並べたセンサー
- タブレットで測定値を確かめる
- 測定画面を見ながらの実地研修
- 樹上でセンサーをハンマーで叩く
- センサーの位置を見上げて確かめる
健全な材は密度が高く音波の伝播速度が速い。腐朽や空洞があると密度が落ち、速度が低下する。この速度差を専用ソフトウェアで解析し、2Dあるいは3Dのカラーマップとして断面を可視化します。
いわば、樹木版のCTスキャンのような技術です。
計測位置の周囲長は100cm以上が理想。センサーは8個以上の使用が望ましく、数が少なかったり間隔が偏ったりすると正確な数値が出ないことがあります。
- アーボソニック3Dの3次元の解析画面
- ノートパソコンで幹の断面の画像を確かめる
さらに今回は、根株部分でレジ(Resi PD500)による穿孔抵抗診断も実施しました。細いドリルビットを幹に挿入し、その抵抗値の変化から局所的な材質劣化を読み取る機器です。
音波で面的に腐朽範囲を捉えるアーボソニック3Dと、線的に材質の劣化を読み取るレジ。そのほかにもピカス(PiCUS)といった機器が補完し合うことで、外観だけでは判断しきれない内部の状態をより立体的に捉えることができます。
- ピカスで測った木にレジを通す
- 幹のセンサーと画面の断面画像
- レジ(Resi PD)の本体
初日——地上からの計測と、技術の伝承
今回の案件が少し特徴的だったのは、その枠組みです。
河合さんの同期にあたる樹木医の方々に、アーボソニック3Dの操作をOJT(実地研修)の形で体験してもらいながら機器診断を進めるという計画でした。弊社の樹木医は、計測するGL(地盤面)からの高さの取り方や計測箇所の勘どころについて、技術指導の立場で参画させていただきました。こうした相談は、私たちにとって非常にありがたいものです。
機器診断の精度は、機器そのもののスペック以上に「計測設計」に左右されます。どの位置に、どの高さで、いくつのセンサーを打つか。こうした実務上のノウハウは、マニュアルだけでは伝わりきらない。現場で手を動かしながら伝えることに意味があると思っています。
二日目——ロープワークで樹上へ
二日目は、弊社の樹木医がロープワークによる高所作業で樹上にアクセスし、アーボソニック3Dによる高所樹木診断・機器診断を実施しました。
- 2人で樹上に上がってセンサーを設置
- 樹上でセンサーを取り付ける
- 樹上での計測
- 樹冠の下の幹に並んだセンサー
- 幹の上部に設置したセンサー
なぜ樹木の高所で診断を行う必要があるのか。
腐朽や空洞は、根元付近に集中するとは限りません。枝の分岐部、過去の剪定痕、幹の屈曲部など、地上からでは視認しにくい位置に腐れや傷みが潜んでいることは珍しくありません。
とりわけ薬王寺様のように大径化した古木では、高さによって幹の内部状態がまったく異なるケースがあります。地上1箇所の断面データだけで「健全」と判断してしまえば、上部に残る危険を見逃すことになる。高さを変えて複数断面を計測することで、幹全体の状態を立体的に把握できます。
ロープワークによる高所での樹木診断は、高所作業車やはしごでは対応しきれない現場で力を発揮します。
寺院の境内は、参道や墓所、建物が密接しており、大型車両の搬入が難しい。枝が複雑に交差する樹冠内部へのアクセスも、車両のブームでは角度が限られます。ロープワークであれば、樹体そのものを足場として幹の任意の高さに到達でき、センサーの設置位置を現場の判断で柔軟に調整しながら、必要な断面を確実に押さえることが可能です。
ただし、これは単にロープで登れればよいという話ではありません。
樹上でアーボソニック3Dのセンサーを正確に配置し、計測に耐えうる安定した姿勢を保ちながら、データの読みと外観所見を同時に行う。ロープアクセスの技術と、機器診断の知見と、樹木の構造を読む眼——その三つが揃って初めて成立する業務です。
薬王寺様の境内は、都心の寺院らしく樹木と構造物の距離が近い。参拝者の動線、墓石、本堂との位置関係を常に意識しながらの作業になります。ロープの設置ポイントひとつ取っても、枝の健全性を見極めたうえでアンカーを選定する必要がある。診断対象の木が、同時に作業の支点でもある。寺社境内の現場では、よくあることです。
こうした環境だからこそ、地上からの外観診断と樹上からの機器診断を組み合わせる意味があります。
人の眼と機器の数値が、樹上で交差する。その瞬間に、地上だけでは見えなかった木の内側が、データとして浮かび上がってきます。
木の将来を、一緒に考えるために
今回の計測・診断結果によって、地上では見えなかった情報が加わりました。保全・剪定・伐採といった選択肢の根拠が、より確かなものになります。ご住職にとっても、お檀家様にとっても、納得のいく判断を支える土台になると考えています。
樹木診断は、樹木の将来を裁く行為ではありません。
その木がこれからどう生きていけるかを、一緒に考えるための行為です。
最後に、今回の診断業務全体の段取りと調整を一手に担ってくださったマメシバ造園の河合菜採樹木医に、改めて感謝を申し上げます。
現場の事前調査から住職様との打ち合わせ、OJT参加者との連携まで、河合さんの丁寧な下準備があったからこそ、2日間の診断が円滑に進みました。日頃の管理を通じて蓄積された樹木への観察眼と、「この木とどう付き合っていくか」という問いを起点にした姿勢。その両方があってこそ、機器診断のデータは生きた意味を持ちます。
こうした志のある樹木医の方々と現場で手を動かせることは、私たちにとっても大きな学びであり、喜びです。
今回も貴重な機会をいただき、ありがとうございました。
株式会社トシ・ランドスケープ
樹木医 中村雅俊
使用機器:アーボソニック3D(ArborSonic 3D、FAKOPP社)、レジ(Resi PD500、IML社)
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※ 「レジストグラフ」は、穿孔抵抗測定器を指す通称として、日本の樹木診断の現場で広く使われています。ただし、RESISTOGRAPH® は RINNTECH 社(ドイツ)の登録商標で、当社が使用している「レジ(Resi PD)」は IML 社(ドイツ)の製品です。両者は製造しているメーカーが異なります。

























