「日本人は、子どものころから御神木に特別な思いを持っているのですか」。トロント大学の学生の問いを受けて、御神木・霊木という言葉の意味、記紀や万葉の記録、守る仕組み、巨樹の数字、世界の聖なる木、研究で言えることをたどり、最後に樹木医としての私の感覚を書きます。
この問いは、2026年10月15日に当社の笠原功貴がトロント大学の都市林業の授業でゲスト講義をしたときに、質疑で学生から出たものです。笠原は答えながら、自分にとっても御神木が幼いころから身近な存在だったことに気づいた、と話していました。私も同じ問いを自分に向けてみると、すぐには答えられませんでした。何かを教わった記憶はないのに、境内の大きな木の前に立つと、体が勝手に静かになる。その感じがどこから来たのかを、一度きちんとたどってみたいと思いました。
この記事では、確かめられる事実と研究者の解釈と、私自身の感覚とを分けて書きます。最初の8つの節は事実と解釈で、最後の2つの節が感覚です。
御神木、神木、霊木。言葉の意味を確かめる

御神木の幹に張られた注連縄と紙垂(当社撮影)
辞典では、「神木(しんぼく)」は神社の境内や神域で神聖視される樹木を指します。『世界大百科事典』の「神木」の項(薗田稔)は、注連縄や柵をめぐらし、祭神にゆかりの樹種や老樹・巨木が多く、「伐採や不浄にはたたりをもたらすとされる場合が多い」と説明し、伏見稲荷の験(しるし)の杉、大神神社の杉、太宰府の梅、熊野の梛(なぎ)を例に挙げています。「御神木」は、その神木に敬いの「御」を付けた言い方です。
「霊木(れいぼく)」はどうでしょうか。寺院の木を霊木、神社の木を神木と呼び分けるのだと、私は長く思っていました。けれども『デジタル大辞泉』も『精選版 日本国語大辞典』も、霊木を「神霊が宿るとされる木。神木」と説明しており、寺院に限った意味は書かれていません。先ほどの『世界大百科事典』の項も「霊木、勧請木、神依木ともいう」と、同じものの別名として並べています。吉野山の桜は金峯山寺の境内の木ですが、吉野町の公式の解説では「御神木」と呼ばれています。役行者が桜の木から蔵王権現の像を彫り、信者が桜を御神木として寄進してきた、という伝承によるものです。言葉は、神社と寺院のあいだで重なっています。私が診させていただいた山梨県都留市の西涼寺様のケヤキは、寺院の「霊木」として大切にされていました。この記事では、神社と寺院の両方をまとめて「御神木・霊木」と書きます。
注連縄の意味も確かめておきます。國學院大學の神道事典(英語版)の「Shimenawa」の項(茂木貞純)によると、注連縄は神聖で清浄な場所を区切るために張る藁の縄で、古くは「しめ(標)」が占有のしるしを意味し、縄がその代表だったことから「しめなわ」の語ができたとされています。注連縄は、木そのものを縛るためのものではなく、ここから先が神の領域だと知らせる印です。御神木に張られた縄を見て、私たちが足を止めるのは、この印が今も働いているからだと思います。
では、御神木の中に神がいるのでしょうか。民俗学者の折口信夫は「髯籠(ひげこ)の話」(1915年)で、神の降りる場所を人の側で前もって決めておくことを「無邪気にして、而も敬虔なる避雷針」と書きました。高い山の高い木が目印になり、「松なり杉なり真木なり、神々の依りますべき木が定つた上で、更に第二の問題が起る」として、その木のうえに御幣のような「よりしろ」が要るのだと論じています。神は常にそこに居るのではなく、ときに降りてくるもので、木はその降り立つ場所だった。折口の論をこう読むと、御神木が「神そのもの」ではなく「神が近づく場所」だったことが見えてきます。この点は、連載「樹木の時間」の第2回でも書きました。
記紀と万葉に残る、木と神の近さ

図1 御神木をめぐる出来事の年表(当社作成。間隔は年代に比例していません)
日本で最も古い書物に、木と神はどう書かれているでしょうか。『日本書紀』(720年)の神代巻の一書(異伝)には、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が鬚を抜いて散らすと杉になり、胸の毛は檜、尻の毛は柀(まき)、眉の毛は櫲樟(くす)になった、とあります。そして木ごとに用途を定めます。杉と櫲樟は船の材、檜は宮殿の材、柀は棺の材です。別の一書では、子の五十猛神(いたけるのかみ)が多くの木の種を持って天から降り、筑紫から始めて国じゅうを青山にした、と記されています。木は最初から、神の体から生まれた「使うもの」として書かれていました。敬うことと使うことが、ここでは分かれていません。
同じ『日本書紀』の天孫降臨の一書には、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)が「天津神籬(あまつひもろぎ)と天津磐境(あまついわさか)を起こし立てて、わが孫のために祭ろう」と言う場面があります。神籬(ひもろぎ)は、國學院大學の神道事典(英語版)の項(杉山林継)によると、古くは臨時に設けた祭場のことで、今は四隅に青竹や榊を立てて注連縄を張り、中央の榊を依代とする形をとります。磐境は石の祭壇です。社殿が建つ前、祭りは木と石の場所で行われていたと考えられており、神社本庁も公式サイトで「山や岩、木や滝などの自然物にも神さまが宿るとして、お祭りをするようになりました」「やがて、祭りの場所には建物が建てられ、神社が誕生したのです」と説明しています。
木を伐ることが「神を軽んじること」だった記録もあります。『日本書紀』の孝徳天皇の即位前紀には、天皇が仏法を尊び神道を軽んじた、という一文があり、その割注に「生国魂社(いくくにたまのやしろ)の樹を伐ったようなことである」と書かれています。7世紀の半ばの出来事として、社の木を伐ることが神を軽んじる行いの例に挙げられているわけです。
『万葉集』(8世紀)には、三輪の神杉に触れたことを「罪」と詠む歌があります。巻四の712番、「味酒(うまさけ)を三輪の祝(はふり)がいはふ杉 手触れし罪か君に逢ひかたき」。神職が斎(いわ)う杉に手を触れた罪で、あなたに逢いにくいのだろうか、という歌です。巻四の517番には「神樹(かみき)にも手は触るといふを」で始まる歌もあり(「神樹」の訓には諸説があります)、神の木に触れてはならないという決まりを前提にしています。触れてはならない木が、少なくとも8世紀にはあった。『常陸国風土記』の久慈郡の条には、天から降りた神が「松沢の松の樹の八俣の上に坐した」と書かれ、神が松の木に降りる、という考え方がそのまま記されています。
これらの記録は、人がどう感じていたかまでは教えてくれません。けれども、木を使い、木を敬い、神の木には触れず、伐れば神を軽んじたことになる、という4つの態度が、1300年前の書物の中にすでに並んでいたことは確かめられます。
「鎮守の森」は新しい言葉、森は古い

境内の御神木の根元。注連縄の内側は人が踏まない(当社撮影)
神社を囲む森を「鎮守(ちんじゅ)の森」と呼びます。私は長いあいだ、この言葉を古くからあるものだと思っていました。ところが小野良平の研究「用語『鎮守の森』の近代的性格に関する考察」(『ランドスケープ研究』73巻5号、2010年)によると、「鎮守の森」は明治から昭和初期にできた新しい語で、田山花袋が1892年に初めて使ったと推定されています。三遊亭円朝の1885年の用例を挙げる資料もあり、初出の年は定まっていませんが、1880〜90年代に文章に現れた言葉だということは共通しています。小野は、花袋が西洋文学の風景の見方の影響を受けていたこと、明治末までに一般語になり、意味が神社の景観から神社そのものへ広がって、伝統性や神聖さのニュアンスを帯びていったことを指摘しています。1912年の唱歌「村祭」が歌うのは「村の鎮守の神様」で、歌詞に「鎮守の森」という語はありません。
綱本逸雄の論考「『鎮守の森』という言葉について」(『植生史研究』7巻1号、1999年)は、うっそうと茂った社叢は意外に新しく、社寺の林は薪や落ち葉を採るために人の手が入っていた、と述べています。宗教学の側からは、Aike P. Rots が『Shinto, Nature and Ideology in Contemporary Japan』(2017年)で、「神道は古来の自然宗教である」という見方と「鎮守の森」のパラダイムは、ここ数十年のあいだに科学者・神職・神社界が作り広めたものだと論じています。
一方で、森そのものが古いことも確かです。神社本庁は公式サイトで、鎮守の杜を「社殿を取り囲むように生い茂る森林」とし、「単なる木の集合体ではなく、自然を守り、自然と人間がともに生きてゆくという神道の精神を守り伝えます」と説明しています。2002年には、社叢(しゃそう)を「神々の森」と定義して研究分野の垣根を越えて調べる社叢学会が設立され、歴史学者の上田正昭が理事長を務めました。植物学の側では、宮脇昭が1970年代から各地の社寺林に残る植生を調べ、その土地に本来あった植生(潜在自然植生)を知る手がかりにしました。兵庫県立大学の石田弘明は、宮崎・対馬・兵庫・京都の鎮守の森の照葉樹林103か所を調べ、林の面積とそこに生える種の数に「予想以上に密接な関係」があること、絶滅危惧種の多くが大きな林に偏ることを報告しています。自然性の高い照葉樹林は、最も広かったころの0.06%程度しか残っていないといわれる、とも書かれています。
街の中の森が気候に与える働きも測られています。神田学らは1996年の夏に明治神宮の森を集中して観測し、森が受ける正味の放射の約7割が水の蒸発に使われ、日中には毎秒約150kgの水が森から出ていくこと、晴れた日の夕方に秒速0.5m以下の弱い「森林吹き出し風」が起きることを報告しました(『天気』44巻10号、1997年)。言葉は新しく、森は古く、森の働きは数字で測れる。この3つを分けておくと、「鎮守の森」をめぐる話が整理しやすくなります。連載「樹木の時間」の第7回では、南方熊楠が神社合祀に反対した話を書きました。
数字で見る、御神木と巨樹

図2 全国の巨樹64,479本のうち、だれが持ち、どれだけが信仰の対象か(環境省の2001年の発表から当社作図)
全国にどれだけの大きな木があり、そのうちどれだけが信仰と結びついているのか。環境省の「巨樹・巨木林調査」は、地上1.3mの高さで幹周りが3m以上の木を巨樹として数えています。1988年度の第4回調査で55,798本、1999〜2000年度のフォローアップ調査の時点で64,479本が記録されました。2001年10月4日の報道発表によると、所有者が分かる巨樹のうち57%(21,262本)が社寺のもので、個人が20%(7,335本)でした。信仰・タブー・祭りの対象になっている巨樹は全体の25%(16,088本)、固有の名前がある巨樹は16%、故事や伝承がある巨樹は6%です。幹周りの上位10本のうち4本は神社の境内にあり、1位は鹿児島県の蒲生の大クス(2,422cm)、2位は熱海市の來宮神社の大楠(2,390cm)でした。
この調査の記録を分析した研究があります。国立環境研究所の仲代亮の論文(Nature Plants、2023年)は、全国の巨樹38,994本(237種)について、信仰の対象になることや固有の名前が付くことに最も強く関わる要因は幹周りと樹齢だったこと、そして年間の降水量が少ない地域ほど信仰の対象になり名前が付く確率が高い傾向があったことを報告しています。著者はこの傾向を雨乞いとの関係で考察しています。大きく、古く、雨の少ない土地の木ほど、神の木になりやすかった。人の気持ちを直接測った研究ではありませんが、信仰という記録が、木の側の条件と結びついていることが分かります。
神社の側の調査もあります。國學院大學神道資料館の『神社と御神木・社叢』(笹生衛監修、2012年)は、全国約8万社を対象に御神木の有無を尋ね、「ある」と答えた神社は1,028社、社叢全体を御神木とする神社は56社で、樹種は68種、最も多いのはスギ、次いでクスノキ・ケヤキ・ヒノキでした(社叢学会の渡辺弘之による神社新報のコラムの紹介による。回答率は分かっていません)。また国土技術政策総合研究所の資料(第566号)には、樹木医が管理を担当した巨樹・老樹359事例のアンケートがあり、場所は神社・寺院が149件(41%)で最も多く、「地域のシンボル」と認められていた木が226件(63%)、管理に「住民との協働」があった木が106件(30%)でした。
守る仕組みは、信仰とは別に作られてきた

柵と標柱で守られた巨樹の根元(当社撮影)
笠原は講義で、神聖であることと法的に保護されていることは別の問題だ、と話しました。日本の御神木を守ってきた仕組みを、年の順に並べます。
| 年 | 仕組み | 中身 |
|---|---|---|
| 1919年 | 史蹟名勝天然紀念物保存法 | 国が天然記念物を指定する最初の法律(大正8年法律第44号) |
| 1922年 | 蒲生のクスが国の天然記念物に | 1952年に特別天然記念物(鹿児島県立博物館) |
| 1933年 | 來宮神社の大楠が国の天然記念物に | 指定名は「阿豆佐和気神社の大クス」、2月28日指定(静岡県) |
| 1950年 | 文化財保護法 | 旧法を引き継ぎ、現状を変えるには文化庁長官の許可が要る(第125条)、都道府県・市区町村も条例で指定できる(第182条) |
| 1951年 | 指定の基準 | 植物の項に「名木、巨樹、老樹、畸形木、栽培植物の原木、並木、社叢」 |
| 1962年 | 樹木保存法(都市の美観風致を維持するための樹木の保存に関する法律) | 市町村長が都市計画区域内の保存樹・保存樹林を指定、地上1.5mの幹周1.5m以上または高さ15m以上などが目安 |
| 1991年 | 樹木医制度 | 林野庁の補助事業として日本緑化センターが認定を開始、第1期は76人、2025年12月時点で3,244人(広島県の資料) |
| 2004年 | 景観法の景観重要樹木 | 景観行政団体の長が指定、2026年3月末で全国296件・73市区町村(国土交通省) |
国の天然記念物は2026年10月1日現在で1,042件、そのうち特別天然記念物が75件です(文化庁。動植物や地質を含む件数で、樹木だけの内訳は公表されていません)。文化庁には天然記念物の樹勢回復に対する国庫補助の制度もあり、施肥などによる樹勢回復が対象で、補助率は原則2分の1です。
この表で私が大切だと思うのは、どの仕組みも信仰の外側で作られたということです。指定の基準に「社叢」という言葉はあっても、神聖だから守るとは書かれていません。巨樹であること、老樹であること、名木であることが理由です。信仰は木を守る動機になりますが、守る手段は、法律と、指定と、人の手入れです。この記事の最後に、そのことに戻ります。
伐ることと、敬うことは、同じ場所にあった
日本の木の文化は、伐らないことだけでできているわけではありません。伊勢の神宮は20年に一度、社殿を建て替える式年遷宮を続けており、第63回の遷宮に向けて2025年5月2日に山口祭(やまぐちさい)と木本祭(このもとさい)が行われました。神宮の公式サイトによると、山口祭は御用材を伐り出す山の入口の神に伐採と搬出の安全を祈る祭り、木本祭は心御柱(しんのみはしら)の用材を伐る前にその木の本に坐す神を祀る祭りで、真夜中に行う秘儀です。6月3日には長野県上松町の木曽谷国有林で御杣始祭(みそまはじめさい)が行われ、最初の檜が「三ツ緒伐(みつおぎり)」という、三方から斧を入れる古式で伐られました。
神宮の森自体の歴史も、使うことと守ることの往復でした。公式サイト「永遠の森」によると、690年の第1回遷宮では神宮の宮域林(約5,500ha)が御杣山(みそまやま)でしたが、鎌倉時代の後期に良材が尽き、江戸時代の中ごろから木曽が御杣山になりました。1923年に「神宮森林経営計画」が立てられ、200年生のヒノキを育てることを目標に森を作り直し、2013年の第62回遷宮で、約700年ぶりに御造営用材の一部が宮域林から供給されています。神の森であっても、伐れば尽きる。尽きたから、200年先を見て植え直した。伐ることと敬うことは、同じ場所で、同じ人たちの手で続いてきました。
木を伐ることへの畏れは、民間の伝承にも残っています。『世界大百科事典』の「木霊(こだま)」の項(飯島吉晴)は、木霊を樹木に宿る精霊とし、八丈島や青ヶ島に、枝の茂った大木を伐ると祟るという伝承があることを挙げています。「山の神」の項(坪井洋文)には、山の神が秋に木を数えるので、その日は山に入るのを禁じる、とあります。国際日本文化研究センターの「怪異・妖怪伝承データベース」には、「切ると山で怪我をすると言って神の祟りを恐れた」という1975年の資料の記録があり、似た伝承は岩手から沖縄まで各地にあります。これらは伝承であって、祟りがあるかないかを私が判定することはできません。ただ、樹木医として言えるのは、伐ることをためらわせる何かがあった場所に、古い木が残っている、ということです。これは私の解釈です。伐ることと敬うことの両立については、連載「樹木の時間」の第5回と第6回で、もう少し詳しく書いています。
世界の聖なる木と並べてみる

笠原がトロント大学の講義で示した、日本の神木とセルビアのザピスの比較(スライド27)
笠原を招いてくださったダニエラ先生の故郷セルビアには、「ザピス(zapis)」と呼ばれる聖なる木があります。Cvetković らがセルビア中部のクラグイェヴァツ周辺を調べた論文(Kragujevac Journal of Science、2007年)によると、ザピスという名前は樹皮に十字を刻むことに由来し(zapis は「書き付け」の意味)、木は村の守り神で、雷や悪天候から村を守ると考えられ、木の下で雨乞いが行われてきました。村の守護聖人の祭日には十字架と旗とイコンを掲げた行列が村を回り、祈りとともに木の十字を刻み直し、花や作物で飾ります。伐ってはならないだけでなく、枝を切ることも禁じられ、葉を摘むことさえ避けられました。2006年の調査で記録された15本は、ナラ属6本、シナノキ3本、トネリコ2本などで、最も古い木は推定500〜600年、周囲5.85mのナラでした。
日本の神木と並べると、共通点と違いがはっきりします。
| 場所 | 木と仕組み | 共通するところ | 違うところ |
|---|---|---|---|
| 日本 | 神木・御神木・霊木、注連縄、天然記念物・保存樹の指定 | 木の周りに人が集まる、伐採のタブー、名前と伝承 | 神が降りる場所という考え(依代)、神社・寺院が所有者の多数 |
| セルビア | ザピス、幹の十字、守護聖人の祭日の行列 | 伐採・枝切りのタブー、雨乞い、村の集まり | 正教の儀礼の中にある、15本の調査で最古は500〜600年 |
| エチオピア | 正教会の教会を囲む森(church forests) | 信仰の場が森を残す | 衛星で確かめられた394の森、平均約2ha(Aerts ら 2016)、木本168種(Wassie ら 2010) |
| 英国 | Ancient Tree Inventory(古木の登録、19万本超) | 古木に名前と記録を与える | Woodland Trust などの民間の登録で、登録だけでは法的な保護はない |
| カナダ(トロント) | 樹齢250年超のレッドオーク、市と市民が土地ごと取得 | 一本の木への関心が土地と公園の計画に | 信仰ではなく市民の運動と寄付、2027年秋の公園完成予定(トロント市) |
表を作りながら気づいたのは、どの国でも「伐らない」という約束が、宗教・慣習・法律・市民運動と、形を変えて木を残してきたことです。日本に特別なのは、木を神そのものではなく神が近づく場所と考えたことと、神社や寺院が巨樹の所有者の多数を占めていることだと思います。これは笠原が講義の結びで話した「共通するのは、木の周りに人が集まり、記憶を受け渡すこと。違うのは宗教の文脈と儀式」という整理と重なります。
研究が言えること、言えないこと

図3 「人間が幸福になるためには、自然に従わなければならない」と答えた人の割合の推移(統計数理研究所の調査から当社作図)
大きな木の前で人が感じることを、研究はどこまで測れているでしょうか。心理学では、Keltner と Haidt が2003年の論文で「畏敬(awe)」を、自分を超える大きさを感じることと、今の理解の枠に収まらず捉え直しを迫られることの2つを含む感情として定義しました。Piff らの2015年の研究では、高くそびえる木立の中に立った参加者が、対照の参加者より人を手伝う行動が多く、「自分は特別扱いされて当然だ」という感覚が低かったことが報告され、著者はこれを「小さな自己(small self)」の感覚で説明しています。ただしこれは一つの実験の結果で、仕組みの説明には後の研究で支持と不支持が分かれています。
森林の生理的な働きも測られています。宮崎良文らの2010年の研究は、全国24か所の森林で280人の若い成人が森林と都市の両方を歩き眺めたところ、森林のほうが唾液中のコルチゾール・脈拍・血圧が低く、副交感神経の活動が高かったことを報告しました。一方で、複数の研究を統合したレビュー(2017年、2026年)は、試験の質にばらつきが大きく、証拠の確かさを「非常に低い」と評価しています。木陰の涼しさについては、環境省の「まちなかの暑さ対策ガイドライン」に、東京都江東区の交差点で日向と木陰の気温はどちらも約30℃でほぼ同じなのに、路面の表面温度は日向が約50℃、木陰が約32℃だったという例が載っています。木陰が涼しいのは気温が低いからではなく、日射と路面からの放射が少ないからです。境内に入って涼しいと感じるのは、気分だけではありません。
では、日本の人々の自然観は調査でどう見えるでしょうか。統計数理研究所の「日本人の国民性調査」には、1953年から「自然と人間との関係」を尋ねた項目があります。「人間が幸福になるためには、自然に従わなければならない」を選んだ人は1953年に26%、1968年に19%まで下がり、1993年に48%、2008年に51%、2013年に48%でした。「自然を征服してゆかなければならない」は1968年の34%から2013年には6%まで減っています。NHK放送文化研究所が2018年に行った国際比較調査(ISSP「宗教」)では、「昔の人は山や川、井戸やカマドにいたるまで神の存在を感じた。こうした気持ちが理解できるか」に「理解できる」と答えた人が74%でした(1998年は78%)。何らかの宗教を信仰している人は36%で、神道と答えた人は3%です。
この数字は、2つのことを同時に示しています。神社に通う人は少なく、信仰と答える人はもっと少ない。それでも、山や川や木に神を感じた昔の人の気持ちは「理解できる」と、4人に3人が答えている。信仰ではなく、理解できる、という答え方の中に、日本に暮らす人の木への感覚があるのではないか。ここから先は、研究では測れない部分に入ります。
「日本人の自然観」という言い方を、一度ほどく
最後の節に入る前に、ひとつ断っておきたいことがあります。「日本人は昔から自然と共生してきた」という言い方を、私はこの記事で使いません。
物理学者の寺田寅彦は1935年の随筆「日本人の自然観」で、日本では「山も川も木も一つ一つが神であり人でもある」と書き、「大自然は慈母であると同時に厳父である」と続けました。同じ年に出た和辻哲郎の『風土』は、日本を「受容的・忍従的」で「台風的性格」をもつ風土として論じ、寺田はその影響を受けたと自分で書き添えています。これらは今も読まれる解釈です。
一方で、環境史の研究は別の事実を示しています。Conrad Totman は『The Green Archipelago』(1989年)で、1600年代の後半まで日本の林業は収奪的で森は危機に向かっており、江戸時代に植えて育てる林業へ転じたと論じました。太田猛彦の『森林飽和』(2012年)は、江戸から昭和の半ばまで人里近くにはげ山が多く、今の日本の山はかつてない緑の状態にある、という論です。Asquith と Kalland が編んだ『Japanese Images of Nature』(1997年)は、日本人は特に自然を愛するという通説と、国の内外での環境破壊との矛盾を出発点にしています。先ほどの伊勢の宮域林が鎌倉時代に尽きた話も、同じ側の事実です。
私は、どちらが正しいかを決める立場にありません。ただ、現場に立つ者として言えるのは、敬意は生まれつきの美徳というより、失ってから取り戻してきた作法に近い、ということです。連載の第4回で書いた「山川草木悉皆成仏」も、末木文美士の研究によれば仏典にも古典にも無い言い回しで、草木成仏の考えは平安期の僧・安然の解釈から広がったとされています。言葉は後から作られ、森は使われ、尽き、植え直された。その往復の中で、木の前で静かになる感覚だけが、どうやら手渡されてきた。そう考えています。
私の感覚で言えること

街の音が遠のく、鳥居の内側(イラストは当社作成)
ここからは、事実ではなく、私の体に残っていることを書きます。
私は東京の恵比寿で生まれ育ちました。渋谷の金王八幡宮は、子どものころの遊び場であり通り道で、例大祭や初詣にも出かけました。境内に入ると、渋谷の街の音が遠のきました。木陰は涼しく、少し暗かった。特定の一本の木を覚えているというより、木が集まってつくる空気を覚えています。誰かに「御神木を敬いなさい」と教わった記憶はありません。教わったのではなく、通るたびに、体のほうが先に覚えていった。それが、トロントの学生の問いに対する、私の最初の答えです。
家の縁側と軒先には、祖父の盆栽が並んでいました。樹種はもう覚えていませんが、毎日水をやり、芽や葉を摘み、ハサミで切っていた祖父の手の動きは覚えています。鉢の中の小さな時間は、人の手で毎日つくられていました。境内の大きな木の時間は、人が触れなくても流れていました。子どものころはそのことを考えもしませんでしたが、仕事で木に登るようになってから、この2つの時間の差を体で感じるようになりました。

縁側の鉢の時間と、境内の大樹の時間(イラストは当社作成)
「この木は違う」と、はっきり思った最初の御神木は、熱海の來宮神社の大楠でした。2021年の秋です。一礼をして、手を合わせ、幹に手を当てて、根元を見る。順番を決めているわけではないのに、気がつくといつもそうしています。手を当てて最初に感じたのは幹の太さで、見上げるというより壁の前に立っているようでした。幹には空洞があり、傷があり、それでも青い葉を茂らせていました。参拝の方々が次々に幹へ近づいて手を当てていて、人の手が届く距離に二千年といわれる木がある。その光景を見ながら、人が木に触れたくなる気持ちと、根元の土を踏まれる木の側の事情を、同時に考えていました。2024年に訪ねた蒲生の大クスの前では、大きさより先に時間の長さを感じました。苔や着生植物に覆われた幹はしっとりとしていて、根元の大きな空洞を前にすると、あたりが静かでした。

來宮神社の大楠と祠(当社撮影)
現場で御神木に向かうとき、私は心の中で「よろしくお願いします」と言い、終わると「ありがとうございました」と言います。それは木に向けた言葉でもあり、その木を大切にしてきた人たちに向けた言葉でもあります。幹に手を当てると、冷たさや温かさ、風で揺れるわずかな動き、樹皮のざらつきや苔が伝わってきます。御神木や古い木を伐るときには、塩と酒を供え、一礼して、幹に手を当てて全体をもう一度見回してから伐ります。伐ったあとの切り株は、樹種ごとに違う木の香りがして、切り口の色が明るく、年輪を数えながら、この木が立っていた時間を思います。

御神木の根元に手を当てる(当社撮影。写っているのは筆者)
寺院の境内では、鐘や読経の音が聞こえ、線香の香りが漂い、樹上から境内や墓地を見下ろすことがあります。足もとは落ち葉や苔でしっとりしています。神社でも寺院でも、私の体が受け取っているものは、思想ではなく、温度と暗さと音と匂いです。
学生の問いに、改めて答えてみます。日本人が、ではなく、私は、子どものころから御神木に特別な思いを持っていました。ただしそれは、教えられた信仰ではありませんでした。通い道の境内で、街の音が遠のき、木陰が涼しく少し暗くなる。その変化を体が毎回受け取っていた。祖父の手が毎日鉢に向かっていた。大きな木の前で、自分の時間より長い時間が立っていることを、理屈より先に感じた。そういう身体の記憶の積み重ねが、私の中の「特別な思い」の正体だと思います。調査が示すとおり、信仰と答える人は少なく、昔の人の気持ちが「理解できる」と答える人は多い。理解できる、という言葉の中身は、たぶん、こうした体の記憶のことなのではないか。これは私の感覚で、証明はできません。けれども、トロントの教室で学生が同じ問いを持ったということは、国が違っても、この感覚のありかを探している人がいる、ということだと思っています。
樹木医として、御神木とどう向き合うか
感覚の話を書いたあとで、仕事の話に戻ります。御神木の前で静かになる感覚と、御神木の状態を調べることは、別の仕事です。信仰は木を守る動機になりますが、守る手段は、指定と、人の手入れと、観察です。参拝の人が根元を踏めば土は固まり、根は呼吸しにくくなります。連載の第11回に書いたとおり、スコップも入らないほど硬くなった御神木の根元をほぐし、柵やロープで距離を取ると、数年で葉の色や新芽が戻ることを、いくつもの現場で見てきました。敬意には、近づくことと、離れて見ることの両方が要ります。
2020年7月の豪雨で倒れた岐阜県瑞浪市の大湫神明神社の大杉は、名古屋大学と森林総合研究所の研究によると、樹齢670年、原因は豪雨だけでなく、根鉢が小さかったことと根の中心部の腐朽、土の水分で根の支持力が落ちたことだったとされています。2026年6月には京都の下鴨神社の御神木のツブラジイ(推定樹齢約450年)が倒れ、神社は老木で自重を支えきれなかったと説明し、樹木医の診断と支柱などの措置をしていたことを公表しました。古い木は、信仰があっても倒れます。だからこそ、木の状態を調べ、人がどこまで近づくかを決め、記録を残し、手入れを続ける人と仕組みが要ります。当社では、神社の御神木や寺院の霊木、天然記念物の樹木診断を承っており、無償の診断モニターも試験的に募集しています。御神木を預かる方からの相談をお待ちしています。
よくある質問(Q&A)
Q1. 御神木と霊木は、どう違うのですか?
A. 辞典の上では同じ意味です。『デジタル大辞泉』などは霊木を「神霊が宿るとされる木。神木」と説明し、寺院に限った意味は書かれていません。神社の木を神木・御神木、寺院の木を霊木と呼び分けることは実際には多いのですが、吉野山(金峯山寺)の桜のように寺院の木を御神木と呼ぶ例もあり、言葉は重なっています。
Q2. 御神木の中に神がいるのですか?
A. 民俗学の折口信夫は「髯籠の話」(1915年)で、高い木は神が降りてくる目印であり、その木のうえにさらに御幣のような「よりしろ」が要ると論じました。この考え方では、御神木は神そのものではなく、神が近づく場所です。神社本庁も、自然物に神が宿るとして祭りをするようになり、やがて祭りの場所に建物が建てられて神社が生まれた、と説明しています。
Q3. 全国にどれくらいの巨樹があり、そのうち神社のものはどれくらいですか?
A. 環境省の巨樹・巨木林調査(地上1.3mの幹周3m以上)では、2001年の時点で64,479本が記録されています。所有者が分かる巨樹のうち57%(21,262本)が社寺のもので、信仰・タブー・祭りの対象になっている巨樹は全体の25%(16,088本)でした。
Q4. 御神木は法律で守られていますか?
A. 御神木だから守られるという法律はありません。文化財保護法の天然記念物(国・都道府県・市区町村)、樹木保存法の保存樹、景観法の景観重要樹木などの指定を受けた木は、現状を変えるのに許可が要るなどの保護を受けますが、指定の理由は巨樹・老樹・名木であることで、信仰は理由になっていません。指定の無い御神木も多くあります。
Q5. 日本人は自然に神を感じる、というのは本当ですか?
A. 調査で言えるのは次の範囲です。NHK放送文化研究所の2018年の調査では、昔の人が山や川や木に神の存在を感じた気持ちが「理解できる」と答えた人が74%でした。一方で何らかの宗教を信仰している人は36%、神道と答えた人は3%です。信仰ではなく「理解できる」という答え方に、日本に暮らす人の自然への感覚が表れていると、この記事では考えています。
Q6. 御神木が倒れることはありますか?
A. あります。2020年7月の豪雨では岐阜県瑞浪市の神明神社の大杉(研究では樹齢670年)が倒れ、2026年6月には京都の下鴨神社の御神木のツブラジイ(推定樹齢約450年)が倒れました。信仰があっても木は老い、腐朽や空洞で支えを失います。木の状態を調べ、人が近づく範囲を決め、手入れと記録を続けることが、御神木を長く残すために要ります。
株式会社トシ・ランドスケープ
樹木医 中村雅俊
出典・参考情報
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