人の信仰は、樹木を守っているのか。参拝の多い御神木の根元で、スコップも入らないほど硬くなった土に触れたことがあります。近づきたいという人の思いが、樹木にとっての重さになるとき。土をほぐしたあとの匂いと、樹木との距離のとり方から、あらためて考えます。

石のように硬い土
御神木の根元の土に触れて、石のようだと感じたことがあります。スコップも入らないほど硬く、根が息をできていないのではないかと思いました。
都内の神社で御神木のクスノキを手入れしたときのことを、以前の記事に書きました(神社の御神木クスノキの剪定と土壌改良)。神社の樹木は、参拝の方に踏まれて土が固まり、落ち葉も掃き清められるので、土に還りにくい環境にあります。その御神木では、根元に縦の穴を掘って竹を挿し、土に空気と水が通るようにする「割竹挿入法」で、固まった土をほぐしました。同じような硬い土には、ほかの御神木の根元でも出会ってきました。
御神木のまわりに人が集まるのは、それだけ大切にされているからです。手を合わせ、幹にふれ、根元に立つ。その一歩一歩が、長い年月のうちに、根元の土を石のように固めていきます。敬意そのものが、樹木の足もとに重さとして積もっていくのです。
国土技術政策総合研究所の「景観重要樹木の保全対策の手引き」も、名木として指定されたことで見学に来る人が増えると、根元のあたりの土が踏み固められるおそれがある、と書いています。大切にされること、知られることが、そのまま根元の負担になりうる。これは、御神木にかぎらない話なのだと思います。
ほぐした土の匂い
固まった土をほぐすと、柔らかくなった土から、土の匂いが立ちのぼってきます。それまで表面を流れていた水が、土の中へしみこむようになります。

樹木の変化は、すぐには現れません。けれども、数年たつと、葉の色や新芽の伸びがよくなってくるのが分かります。先の記事の御神木でも、剪定と土壌改良を続け、3年目の作業の記録には、樹勢を含めて少しずつ成果が出てきていると書きました(東京都内 神社 御神木剪定)。
ここからは、私の解釈です。硬い土の中で、根は何年も、じっと耐えていたのだと思います。ほぐした土の匂いをかぐと、閉じ込められていた時間が、ようやく動き出したような気がします。樹木の時間は、人の目に見えないところで、ゆっくりと取り戻されていくのでしょう。
信仰だけでは守れなかったこと
2012年の暮れ、御神木が何者かの手で枯らされる出来事が相次いでいると報じられました。四国新聞の全国ニュースの記事によれば、林野庁がその月に行った緊急調査で、被害は過疎地の神社に集中し、5つの県で計14本にのぼっていました。いずれも幹に、薬剤を入れるためとみられる穴が開けられていたといいます。巨木の多い御神木を、建材として高く売る狙いがあるとみられる、と記事は伝えています。
記事の写真には、枯れて伐られた御神木が写っていました。愛媛県東温市の惣河内神社の御神木です。
地域の人たちが長いあいだ親しみ、手を合わせてきた樹木でした。その信仰があっても、樹木は守られませんでした。人に敬われてきたことが、かえって、その樹木の大きさと値打ちを人の目にさらすことにもなったのかもしれません。
この出来事について、私に語れることは多くありません。ただ、敬うことと、守ることは、同じではないのだと思います。
距離を取るという敬意
人と樹木のあいだに距離を取ることで、樹木の様子が変わった現場があります。柵やロープを張って、根元に人が入らないようにしました。根元にはマルチングをして、土を覆いました。参道や人の通る道筋を、変えてもらったこともあります。
先の手引きも、根の広がる範囲の土が直接踏まれないように、保護柵やデッキ、木道を設ける方法を挙げています。根元を木のチップなどで覆うマルチングも、根を踏まれることから守る手だての一つとされています。

しばらくすると、葉の色や量が戻ってきました。新しい枝や芽が、よく伸びるようになりました。根元には、下草や苔が戻ってきました。土は、柔らかいまま保たれていました。
第1回で書いた來宮神社の大楠では、根元がウッドデッキで囲われ、根のある土を直接踏まずに、幹のすぐそばまで行けるようになっていました(第1回 御神木の前に立つと)。近づきたいという人の気持ちと、樹木の側の事情。その両方を受け止める形の一つなのだと思います。

近づくことと、離れて見ること
ここからは、私の解釈です。
柵の外から見上げる大きな樹木は、根元に立って見上げるときとは、違って見えるのではないでしょうか。幹だけでなく、枝の広がり、樹冠の形、根元から立ち上がる幹の線まで、一本の姿がまるごと目に入ってくるはずです。近づかないからこそ見えてくるものも、あるのだと思います。
樹木を敬う気持ちは、樹木に近づきたい、ふれたいという気持ちとして現れることが多いのだと思います。私自身も、樹木に向き合うときは幹に手を当てます。けれども、樹木の側から見れば、根元に人が立たないことが、いちばんの助けになることもあります。
敬意には、距離が要るのではないでしょうか。一歩下がって、柵の外から見上げる。根元を踏まずに、枝の広がりと幹の太さを、少し離れたところから眺める。離れて見ることは、樹木を遠ざけることではなく、樹木がそこで生き続けられる場所を残すことなのだと思います。
スコップも入らなかった硬い土と、ほぐしたあとに立ちのぼった土の匂い。その両方を知っているからこそ、私は根元の土を見るたびに、その樹木に向けられてきた人の思いの重さを考えます。人の敬意が、樹木にとっての重さではなく、支えになるように。そのあいだに立つことも、樹木医の仕事の一つなのかもしれません。
次回は連載の最終回です。伐ることは敬意の放棄なのか、という問いから、樹木を見送るということを考えます。
株式会社トシ・ランドスケープ
樹木医 中村雅俊
出典・参考
・四国新聞社「ご神木、不審な枯死が相次ぐ/売却目的で薬剤注入か」(全国ニュース、2012年12月26日) http://www.shikoku-np.co.jp/national/life_topic/20121226000112(林野庁の緊急調査で5県・計14本、幹の穴、建材として売る狙い、惣河内神社の写真。2026年10月12日確認)
・国土技術政策総合研究所「景観重要樹木の保全対策の手引き」(国総研資料 第565号、平成22年1月) p.41(見学者の増加と根元の土の踏み固め、保護柵)、p.169・171(割竹挿入などの簡易な土壌改良、マルチングによる根系への踏圧防止、保護柵・デッキ・木道)
・当社記事「神社の御神木クスノキの剪定と土壌改良」 https://toshilandscape.co.jp/archives/3453
・当社記事「東京都内 神社 御神木剪定」 https://toshilandscape.co.jp/archives/7326
・当社記事 連載「樹木の時間」第1回 https://toshilandscape.co.jp/archives/13802
連載「樹木の時間 ― 御神木の前で考えたこと」
第1回 御神木の前に立つと
第2回 樹木は、神そのものではなかった
第3回 残ったから、神になったのか
第4回 「山川草木悉皆成仏」は誰の言葉か
第5回 共に生きてきた、は本当か
第6回 伐る者の作法
第7回 熊楠が守ろうとした森
第8回 樹木は傷を治さない
第9回 老いることは、衰えることか
前回 第10回 樹木は感じているのか
第11回 敬意が重さになるとき(この記事)
次回 第12回 見送るということ(公開後にリンクを追記)
連載「樹木の時間」のすべての回は、連載の一覧からご覧いただけます。

































